夜を乗り越える

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夜を乗り越える

俳優の三浦春馬さんが亡くなった 私は彼のファンというわけではないけれど、 好感を持って、映像作品を拝見していたので、 30歳という若さでの自死は 少なからずショックを受けました。 私は思春期を除けば自分で死にたいなど思ったことはなく、(思春期のそれは、 明日私がいなくなったら、みんなどう思うのかな、というような自分に酔った形のもの) それは本当に幸せなことで、 常々そういうことが頭をよぎってしまう人からしたら、能天気な人間の戯言でしかないと思う。 私にはその人たちの辛さを想像することしかできなくて、 そして、いつも想像は少し足りない。 でも、やはり心は痛くて。 表題の「夜を乗り越える」は 又吉直樹さんのエッセイの題。 「なぜ、本を読むのか」ということについて 書かれた本なのだけど、 この題にある言葉がとても心に刺さったので。 これは、又吉さんが大好きな太宰治さんについて書いていた章で、 太宰治も何度か自死、心中を試み、何度か失敗し、 何度目かで、旅立ってしまった。 正確な表現は違うけれど、 「太宰治も何度も辛い夜があって、苦しくて、 でも、その夜を乗り越えていたら、もしかしたらまた朝が来ていたかもしれなくて、 別の新しい状況になっていたかもしれない。 その夜を乗り越えていたなら。」というような ことが書かれていたと思う。 その瞬間、その夜をどうにか乗り越えていたなら、 また1日1日を乗り越えていたなら。 辛い状況にある人は、 その瞬間、その夜を乗り越えることが すごくすごくすごく辛いことなのだと思う。 でも、もしかしたら、その次の日 笑って話せているかもしれない。 どうしたの?て聞いてくれる人が現れるかもしれない。 背中をさすってくれる人が現れるかもしれない。 この人のために明日を生きようと思える相手が現れるかもしれない。 分からない。 全部分からないけれど。 ということを、思い出しました。 夜を乗り越える、て言葉、いいなと思いました。 又吉さんもきっと辛くて苦しくて思い悩むことが沢山ある人なのかなと 文章を読んで想像します。 又吉さんは、本を読むことで、 「こんな風に思い悩むのは俺だけやないんやと気づくことができた」と書いていました。 それも、なるほどなぁと思った言葉でした。
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