最終話

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最終話

 御前に明星家の真実を聞いたキョウジが、内心震えていたそのころ。 「ヒカリ……本当に成長したね」 「母さんってば、さっきからその話ばっかり」  目頭をハンカチで押さえながら感極まったように話す母を、ヒカリは苦笑交じりに宥めていた。 「だって、結婚前はあんなにフワフワして頼りなかった子が、たった一年半程度でこんなに立派になっているんだもの」 「そんなに変わったかな?」 「今なら()()の一つや二つ、任せてもいいって感じの面構えになったね」 「んもう! 母さんはそればっかり。僕は仕事なんてしたくないんだってば」 「全くヒカリは頑固だなぁ」  ハハハと笑い合う明星一家。  一見仲睦まじい家族の微笑ましい光景なのだが、明星家の実態を知っている人が聞けば、決して笑える内容ではない。 「ヒカリの成長は全部、あのダメ婿効果ってことか」 「人の夫のこと、ダメ婿とか言わないでくれる?」 「だってダメ婿だろう? 一年間もヒカリをあんな目に遭わせてさ」 「……知っていたの?」  母の言葉にヒカリはギクリとした。  彼は一年もの間、キョウジの手により外部との接触を全て断たれていたのだ。  自分から連絡することはおろか、外から接触を受けることも一切できない状態にあった。  さらには軟禁を解かれた後も自主的に家に籠もり、実家には最低限の連絡しかしていなかったのだ。それもキョウジのことはひた隠しにしたまま。  それなのに、なぜ母がそのことを……? と言う疑問が浮かぶのは当然のことだろう。 「私を誰だと思っているの。ヒカリが置かれている状況を調べるなんて、朝飯前さ」  実はこの母こそ、御前たちの間で“明星家のリーサル・ウェポン”と呼ばれ、アルファの裏社会では密かに恐れられている人物なのである。  その子どもであるヒカリもアルファ社会では有名なオメガで、彼に何かあればリーサル・ウェポンが黙っていないと言うことは誰もが知る事実だったのだが、キョウジはあいにくベータ家系に生まれたアルファだった。  そのためアルファ社会に溶け込むことができず、結果として明星家やヒカリの真実に気付かないまま、結婚してしまった……と言うわけだ。  そんなリーサル・ウェポンである母は数年前、息子に全権を譲り今は婿養子である夫と自由自適の生活を送っているは言え、まだまだ力は衰えていないらしい。結婚直後からキョウジとヒカリに知られないよう二人の現状を調べ、秘密裏に監視していたのだ。 「ヒカリがずっと軟禁されていたことも知っていたし、助けを求めてこないことにも毎日イライラしていたものだよ。だからヒカリがようやくメールをくれたときには、小躍りして喜んだものさ」  キョウジに復讐を誓ったヒカリが、夫のスマホでこっそり見ていたのは、実はアダルトサイトだけではなかった。  結婚前に取得していたフリーのウェブメールサービスにアクセスして、母に連絡を取ったのである。  ただし自分が置かれている状況については一切話さず、ただ薬を用意して欲しいとだけ書いた。  新婚夫婦が避妊薬なんて怪しまれるかな……と危惧したものの、しかし母は特に何も言わずにあっさりと快諾して、薬を送ってくれたのだ。 「僕が避妊薬や強制発情剤をおねだりしたとき、何も聞かずに用立ててくれたのはそういうことだったんだね」 「でもかなり危ないところだったんだぞ。母さんは毎日、暗器を手にしてはヒカリを奪取するって息巻いていたんだからな」  父の言葉に、ヒカリは呆れた目で母を見る。 「んもう、母さんは本当に短気なんだから」 「そうは言ってもかわいい息子が辛い目に遭ってるんだよ? なんとかしてやりたいと思うじゃない。でも父さんが、もう少し様子を見ようって止めるからさ」 「父さんが?」 「ヒカリだってもう立派な大人なんだ。自分のことくらい自分でできる年齢だし、どうしてもダメだって泣きついてきてから殺っても、遅くないんじゃないかなって思ってね」 「結果、私たちの力を借りずに、あの男にお灸を据えたみたいだし? しかも今じゃすっかり明星家らしい風格まで備わって……」  ヒカリの成長を喜び、再びハンカチで目尻を押さえる母。  息子の成長を喜ぶ母の姿は、何も知らない者が見れば感動のシーンなのかもしれないが、この一家に関しては内容が内容だけに笑えない。 「それで、ヒカリは今後どうする気?」 「今後って?」 「まだあの男のところにいるつもり? あんな目に遭わされたんだ、もう一緒にいることはないんじゃない?」 「そりゃあそうだけど……まだ復讐は終わっていないから」 「ダメ婿に優しくしてあげてるのが、復讐の一環ってこと?」 「そう。僕に本気で溺れさせてから捨ててやるつもり。好きな人に振り向いてもらえないばかりか、逆に嫌われるなんて一番辛いことでしょう? だからキョウジさんが僕に心底惚れるまで……家には帰らないよ」 「ふぅん……じゃあ、そういうことにしてあげようか」  母はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて、ヒカリを見た。 「……何さ」 「ううん、別に。成長したと思っても、やっぱりヒカリは不器用なんだなって思っただけ」  母は気付いていた。  ヒカリの心が揺れていることを。  キョウジに復讐を誓ったあの瞬間、たしかに彼に対する気持ちはマイナスまで振り切ったのだろう。  しかしそんな気持ちが変わったのは、いつのころからだったろう。  もしかしたらそれは、キョウジに対してお仕置きをしていたときだったかもしれないし、キョウジが心を入れ替えて以降の半年の間かもしれない。  キョウジの態度が変わるたび、そしてキョウジの愛を実感するたびに、冷え切っていたヒカリの心は徐々に解されていく。そして今では少なからず、二人で過ごせる時間を楽しみにしている節があることを、母は知っていたのだ。  しかもヒカリは結婚前よりも確実に美しくなった。キョウジの隣に立ち、夫を見つめる目はまるで恋する乙女のよう。  これではいくら「復讐のためだよ」と言っても、説得力がないというもの。  だが、当のヒカリはそのことに全く気付いていない。  復讐という大義名分を掲げ、キョウジをからかって遊ぶ日々が続く。一喜一憂するキョウジを見て、彼にそんな顔をさせているのが自分であるという事実が、嬉しくて仕方ない。  心が満たされる日々。これこそが復讐が上手くいっている証拠……ヒカリ自身はそう認識しているから始末に負えない。 ――ヒカリは昔から鈍感なところがあるからなぁ。  よく言えば天然。悪く言えば察しが悪すぎる。  だから母はヒカリに明星家の仕事をほとんどやらせず、外の世界(キョウジ)に送り出したのだけれど。 「ともかく僕はまだ、家には帰らないからね」 「まだ……ね。わかったよ。あーあ、じゃあ孫を見るのはまだまだ先か」 「番にもなっていなければ、寝室だって別だもの。孫は諦めて」 「そんなぁ」  口では落胆したようなことを言いつつも、二人が番になって子宝に恵まれる日は、そう遠くないかも……? と母は内心考える。  ヒカリはキョウジを憎からず想っているようだし、キョウジだって今は妻を振り向かせるのに必死であることは、二人をずっと見守ってきた母には手に取るようにわかっているからだ。  しかし何しろ、相手は超鈍感なヒカリである。  自分の気持ちに気付かないで終わる可能性だってあるのだ。 ――教えてあげてもいいけど……ヒカリが恋心を自覚しないことこそ、ダメ婿にとってはお仕置きされっぱなしって言えるのかも?  そういう意味ではヒカリの復讐は、成功したと言えるのかもしれない。  この二人がどんな顛末を迎えるのか。  とりあえず、しばらくは二人を静かに見守ることにしよう……そう決意した母なのであった。
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