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 牡丹雪のようにふわふわと降り注ぐ大粒の雨を、緩やかな曲面を見せる窓からぼうっと見つめる。  今朝は珍しく、この衛星(ほし)に雨が降っている。息を吐き、寝返りを打つアキの身体に沿うように形を変える柔らかなベッドの温もりを惜しむ。いや、ここはまだ『朝』ではない。地球の標準時間で『朝』であるだけ。ドーム型の基地に取り付けられた細長い窓のずっと向こうに漂う、恒星になれるかもしれなかった惑星とその周りの蒼さを確かめ、アキは快適なベッドから上半身を引き剥がした。地球が『朝』なら、起きなければ。  ベッド横のボタンを押し、通信機器の音声部分だけを起動し、覚醒用の代用コーヒーを頼む。通信機器から流れてくる科学ニュースと、旧式のマシンが水を湧かす音を聞きながら、アキは再び窓の向こうに目を向けた。  不毛の大地に降り注ぐのは、沼気(メタン)の雨。窒素が殆どの大気に含まれる少量の沼気が、地球における水蒸気と同じように凝縮したもの。厚みのある大気にもくもくと湧き上がる、地球では見られないのっぽの積乱雲からは、地球では災害となるほどの大雨が降り注ぐが、今日の雨は大人しそうに見える。この衛星の季節の変化は乏しく、雨が降らない日の方が多い。だから、この景色は貴重。  水蒸気がふわりと、アキの鼻をくすぐる。代用コーヒーができたようだ。  マシンから受け取った、淹れ立てのコーヒーの温かさに息を吐く。この資源採掘管理者用居住空間を管理する人工知能が示す外の気温は、アキが外に出ると即座に氷柱となる数字を見せている。ドーム型居住基地の厚い壁があるから、大粒の雨が窓を濡らす音は全く聞こえない。ただ静かに、スローモーションのように降る雨が、窓の向こうに見えるだけ。沼気は無色無臭だから、匂いも、アキが手に持っている代用コーヒーの少し焦げたような匂いしか無い。耳に響くのは、哀切な、泣き声に似た音、のみ。……泣き、声?  思わぬ音に、目を瞬かせる。ワープ航法を駆使して宇宙空間を飛び回る船に積む燃料を採掘するために建てられた、このドーム型の建物に住んでいる生物は、アキだけ、の、はず。慢性的な人員不足のため、アキが所属する、惑星や衛星からの資源採掘を主たる業務とする会社も、この施設には一名しか置くことができないと明言している。アキが生活できるように空間を整えたり、燃料を掘り出す機器類を常に監視したりしている人工知能は存在するが、人工知能は、多分、……泣かない。では、今もアキの耳に響く、この泣き声は、誰のもの? 「泣き声、聞こえる?」  思わず、空間を管理する人工知能に問いかける。 「聞こえませんが?」  すぐに返ってきた、気遣わしげな機械音と同時に、泣き声は不意に消えた。 「何か問題が生じましたか?」 「ううん、大丈夫」  泣き声に気を取られている間に、沼気の雨は止んでしまった。  孤独に暮らしていると、人恋しさから、自分以外の誰かが側にいるという幻覚が起こるらしい。孤独を選んだのは、アキ自身。精神に異常をきたしたと判断され、人間が数多く暮らす世界に戻るのは、まっぴらごめん。殊更強く首を横に振り、アキは人工知能からの追及をかわした。 「それより、今日の予定は?」  雨が止み、冷たさを増したように見える窓の外に小さく肩を竦め、人工知能に尋ねる。 「採掘した燃料を受け取る船が来る予定です」  聞こえてきた回答に、アキは今度は大仰に肩を竦めた。
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