1/1

0人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ

 小さな船着き場に無事着艦した、丸みを帯びた大型船から下りてきた人影に、ほっと息を吐く。カトカなら、外部との通信ができる快適な客間さえ用意しておけば、後は放っておいても大丈夫。 「久しぶり、アキ」  ヘルメットを脱いだカトカの、柔らかな黄金の髪に手を振る。広大な宇宙空間に比べ、人類の数は圧倒的に少ない。宇宙船用の燃料を採取する機械を管理するアキと同じように、近隣の惑星・衛星に必要な荷物を配達する宇宙船を操る船長も、大抵は孤独。それ故、なのだろう。他の人間に会うと、過剰な会話や身体の触れ合いを求めてしまう船長は、かなり多い。許可無く――アキは絶対に許可しないが――アキの身体に触ろうとする輩に対しては、落とし穴から緊急脱出用小型宇宙船に閉じ込め、宇宙空間に放出する装置を作成したが、実の無い会話を長時間行うことに関しては、たとえ苦手でも、そこまで過激な対応はできない。だから、放って置いても自分一人で時間を潰すことができるカトカは、アキにとっては気の置けない人間の一人。 「燃料を積み終えるには、地球時間で三時間は掛かる予定です」  船着き場に響く人工知能の声に手を振るカトカから、カトカが運んできたアキ宛の荷物の一覧が映るタブレット端末のディスプレイに目を移す。こちらも、特に問題は無い。必要なものが届いている。 「雨、降ってるね」  アキが用意しておいたいつもの客用部屋に向かおうとしていたカトカの、溜息のように聞こえた声に、顔を上げる。貨物船を受け入れ、今は空間に充填された地球大気を逃さないようしっかりと密閉された船着き場にも、外が見える窓がある。その小さな窓を僅かに濡らす沼気の雨に、アキは小さく微笑んだ。貨物船が着陸態勢に入っている間に、降らなくて良かった。 「道理で、古傷が痛むと思った」  左側だけ外した手袋を持ったまま、宇宙服の左袖を僅かに持ち上げるカトカの右手に、はっとして耳を澄ます。……確かに、今朝と同じ、泣き声が聞こえる。だが、カトカには聞こえていないようだ。普段通りの歩幅で客用部屋に向かったカトカの後を、アキは内心の動揺を見抜かれないよう、唇を引き結んで追いかけた。放って置いて良い人であるとはいえ、代用コーヒーを一杯飲むくらいの時間はおしゃべりに付き合う必要が、ある。 「ここは、静かで良いわね」  旧式の宇宙船だと、機械音がうるさくて。一言だけ愚痴った唇が、アキがボタンを押して作った代用コーヒーの香りに微笑む。 「燃料の埋蔵量も、まだまだ底をつきそうにないって感じね」 「ええ」  宇宙服の襟元だけを緩め、持ち運んでいる鞄から大きめの端末を取り出したカトカに、アキはそっと退室の体勢を整えた。 「他の採掘場では、底をつきそうなところもあるらしいわ」  そのアキの耳に、端末の操作を始めたカトカの声が響く。 「ワープ用の新しい燃料の開発や合成を始めている研究所もあるらしいし」  そのニュースは、今朝、端末から流れていた。降った雨と、響いた泣き声を思い出し、カトカに気取られない程度に小さく首を横に振る。もしも、研究所で合成できる燃料が開発されたら。ざらっとした不安が、アキの背中を這い上る。この採掘場が閉鎖されたら、また、人々との交流が煩わしい場所へ戻らなければならない。でも。左手の甲から宇宙服の袖の中へと走る太い傷跡を気にするカトカに、今朝の泣き声を重ね合わせる。突拍子もない考えかもしれないけれども、あの泣き声は、おそらく、アキ達人間にとっては必要なものを採取するために傷付けられた、この衛星のもの。ならば、採掘する必要の無い燃料を開発することができれば、アキはこの衛星を傷付ける必要はなくなるし、衛星の方も、泣く必要はなくなる。 「まあ、新燃料の方はまだ実験段階らしいし、当分は、採掘する燃料を使わないといけない状態が続くんでしょうけど」 「そうね」  端末の方に意識を集中し始めたカトカの様子を確かめ、形式的に頭を下げて客用部屋を出る。  雨は、既に止んでいる。僅かに蒼く光る窓の外を横目で確かめる。泣き声も、聞こえない。これで、……良いのだろう。もう一度、今度はしっかりと窓の向こうを確かめ、アキはほっと息を吐いた。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加