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星あかりは海から空
集合時刻、二二:〇〇。持参するもの、小型発電機、撮影用ライト、大きな鏡、そして、金盥。集合場所、遮蔽物がなく、星空がよく見え、大きな飛行物体が離着陸可能な、海水浴場。
隅野は友人のために海に来た。勤務先の社名がペイントされた軽ワゴンの後部座席に、頼まれたものは全て積んである。小型発電機と撮影用ライト、鏡までは用途が想像できたが、金盥に至ってはさっぱり分からない。それでも言われるままに用意したのは、友人を心配していたからだ。
頭の中のデジタル時計は、ぴったり二二:〇〇を示した。
フロントガラス越しに浜辺を見渡す。
隅野の知る限り、この砂浜は夜でもひとけがあった。若者だとか、近くの温泉旅館の宿泊客だとか、夜の散歩と称して出歩いているものだ。
それが、今晩は誰もいない。波音しか聞こえない。
夏の怪談は八割以上が無人の状況から始まる、と頭の中で統計が出る。息苦しさに、隅野は運転席の窓を開けた。
「隅野」
涼しい潮風と、聞き覚えのある声が車内に入って来る。同時に、波打ち際に二人分の人影を見つけた。
「晴彦」
晴彦はいつものスーツ姿ではなく、ハーフパンツにポロシャツという休日らしい格好だった。隅野が約束通りに現れたことを喜んでいるのか、表情は明るい。
「頼まれたもの、用意してきた」
「ありがとう」
礼を言う晴彦の陰から、もう一人が隅野を覗き込んだ。
かなり小柄で、あどけない印象を与える、髪の短い女性だった。月光を受けて、浮世離れした白さの肌が、暗がりにぼんやりと浮きあがっている。
隅野は吸い寄せられるように、女性の黒々とした瞳を覗いていた。漆黒の中に、星空を閉じ込めたようなきらめきが浮かんでいる。
「あかりちゃん、こいつが隅野。昔からの友達。リサイクルショップで働いてるんだ」
「どうも。隅野です」
晴彦に紹介されて、隅野はぼそぼそと挨拶した。
それを聞いたあかりは、やっと晴彦の陰から歩み出た。
「あかりです。今日は来てくれて、ありがとう」
すずらんが揺れるがごとき可憐な声である。清楚ともとれるし、わざとらしくも聞こえる。
隅野はあかりを不躾に眺めた。
最低限の紹介が済むと、晴彦は断りもなく軽ワゴンの後部ドアを開けた。
「早速だけど、支度しよう。あかりちゃん、どこが良い?」
「見てくるね」
積み荷を下ろすのを晴彦に任せ、あかりは車から離れ、暗い浜辺へ歩み出した。
あかりの白い脚が、波打ち際、濡れていない砂の上を、崖の縁にいるかのように慎重に歩く。風が吹くたびに、長めのスカートがふわりと揺れて、ますますこの世のものではないような雰囲気を醸し出す。
しかし、と隅野は鼻を鳴らした。
「宇宙人は、ないな」
隅野の呟きに、晴彦は発電機のコードを伸ばす手を止めた。
「信じてなかったのか?」
晴彦の意外そうな問いかけに、隅野は運転席で大仰な溜息を吐いた。
「じゃあ聞くけど。お前は『宇宙人の恋人を宇宙に帰すために、金盥を持って海に来てくれ』って言われて、簡単に信じるのか?」
そもそも宇宙人とは何だ、と隅野はそこから始めたい。三日前にそう切り出されたときに、怒って席を立たなかった自分を褒めてやりたかった。
事実、相手が晴彦でなければ、隅野はそうしただろう。
極端な人間嫌いである隅野にとって、晴彦はほぼ唯一の友人だった。嘘つきで、利己的で、要らなくなれば何でもガラクタとして捨てる残酷な人間達を、隅野は恨んでいた。が、誰に対しても驚異的なお人好しを発揮する晴彦だけは、そのカテゴリーから外してあった。
晴彦は、他者の有益性を試すような真似はせず、機能が劣るからといって切り捨てようとしない。それが晴彦の美徳であり、その美徳ゆえに他人に付け込まれやすいのだった。
「お前、また、騙されてるんだよ」
今日こそそんな晴彦に現実を教えてやるのだと、決意したから海へ来た。隅野が晴彦の常軌を逸した頼みを断らなかったのは、そのためだった。
「一人目なら良い。残念だったな、で済むから。でもお前、これが二度目だろ。一年前に付き合ってた、名前忘れた、あの子……」
「何で今、渚の話なんか」
「その渚ちゃんだ。渚ちゃんはお前をフッた。しかも、ひと夏の恋の思い出として、お前の新品のカシオの完全防水腕時計、三万円のをパクってった。そうだろ」
晴彦は悲しそうに眉を下げる。
「パクったなんて。そもそも、渚は」
「挙句、渚ちゃんは、人魚だっけ? 人間と恋がしたかったけど、親の許しが出なくて海に帰ったんだっけか」
言いながら、隅野はわざとらしく嘆息した。
当時も、馬鹿を通り越して気が狂ったか、と喉元まで出かかった。が、晴彦の落ち込みようがあまりに哀れだったので、自覚があるならば余計な追い打ちはかけるまい、と飲み込んだのだ。
とはいえ、今回の晴彦の行動を見れば、その気遣いは無用だったかもしれない。
「どうして、毎度そんな変なのに騙されるんだ? 人魚も宇宙人も、この世にはいない。騙されるにしても、一人目で懲りろ。二人目は見抜けよ」
隅野のきつい言葉を受けても、晴彦には自らを疑う素振りはなかった。むしろ不思議そうに隅野に訊ねる。
「そこまで言うなら、なんで今日は来てくれたんだ?」
「完璧にお膳立てした上で、あの子が失敗したら、お前も目が覚めるだろう」
「なんだ、やっぱり、手伝ってくれるんだ!」
晴彦がパッと目を輝かせた。反省とは程遠い態度に、隅野は再び説教をしようと口を開く。
その時、砂浜のあかりが二人を呼んだ。
「ここが良いかも」
「今行くよ」
晴彦はすぐさま鏡と金盥を手に取り、あかりのもとへ駆けていった。
隅野は口を開閉させたが、ぐっと堪えた。
今争っても仕方がない。どうせ、すぐに分かることだ。そう自らに言い聞かせ、車を降りて晴彦の後を追った。
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