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就職をきっかけに東京でひとり暮らしを始め、なにもかもが新しい体験ばかりであった。
昔を思い出す暇も余裕もなかった。
故郷の記憶はアプリの夜空のごとくグレーにあいまいに頭の隅っこで消えかけていたのだ。
しかし今日はちょっとした偶然から22年前の小さなできごとを思い出すことができた。
目を閉じればおばあちゃんと見上げた栃木の夜空がよみがえってくる。
目を開ければ東京の夜空と同じくすんだスマホの画面。
思わず指でおばあちゃん星をこすると、霞が消えてまたくっきりと見えるようになった。
「あ、なんだ。こすると消えるのか」
ふと見上げた夜空にはひっそりと輝くおばあちゃんの星。
いつも見守ってくれているんだな。ありがとう。
「いやいやいや、ちょっと待て!」
小雨を落とす雨雲にかき消したような穴が開き、そこにぼんやりと光る星が見えているのだ。
口をまあるく開けたままのユースケの首は夜空とスマホを何度も往復した。
「まさか・・・」
スマホのおばあちゃん星に指を置き、そのまま上にこすり上げると、指の通った道筋のグレーは消え去りイシュタル彗星のあたりまでもくっきり見えるようになった。
そして夜空は、
「あ・・・・、あれ・・・か?」
不自然な形に取り除かれた雲の向こうに うすぼんやりとした光が見える。
しかし彗星にあるべき尾は見えなかった。
よーーーく目を凝らしてみると、他の星と違ってふんわりと衣をまとったように見えなくもないが、スマホの画面に出てるいかにも彗星っぽい絵面とは似ても似つかない光の点だ。
念のためスマホの画面中をなでまわしてキレイにすると、ユースケの見上げる先にはいつもの東京の夜空が帰ってきていた。
栃木の星降る夜空とは別のものを見ているようであったが、辛うじて夏の大三角たる1等星たちは確認することができた。
「あれがデネブだろ。 で、こっちがベガで・・・」
スマホの画面と照らし合わせて確認した結果、やはり先ほどのぼんやりした光の点がイシュタル彗星に間違いなかった。
「ははっ、、この感じ」
22年ぶりのがっかり感はかえってなつかしさを覚えるものであった。
ただし、いい大人になったユースケはかんしゃくを起こすこともなく、ただじっとそのがっかり彗星と、その下にある自称おばあちゃん星を見つめていた。
ときおり星たちはぼやぼやと見えなくなったが、それはユースケの目元をTシャツで拭うことで消し去ることができた。
22年ぶりに彗星が届けてくれたなつかしい思い出により、忙しい都会の時間はしばらくの間止まっているようであった。
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