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「このままだと宮様がうじうじと悩み始めるだけでしょ。答え合わせのためにも本人に聞いてみようよ。まだ都の近くにいるなら追いつけるよ」
あっけらかんという童女。ひき丸が慌てた様子を見せるが、橘宮は意に介しないまま手を顎に当てる。
「おまえはさも簡単なことを言う。そうできればさぞよかろう。とてもよい夢だね」
「夢じゃないよ。今ならできる現実だよ。また、後悔しつづけるの? 伝えたい心があるのに、伝えないままで満足できるの? もう二度と逢えないかもしれないよ」
それは、と男は言葉を濁す代わりに盃を仰いだ。
「できる……はずだ。これまでと変わらない。簡単なことではないか」
「泣きそうなのに」
「泣いておらぬわ!」
橘宮は確かめるように袖で目元を拭い、形の良い唇を一文字に引き締めた。そしてまた酒を呑む。
「大事なのは宮様の気持ちだよ。心だけは身分も立場も関係なく自由であれるのに、宮様はまだ嘘をついてるみたい」
逢いたくないの、とわらびは問うと、橘宮が重いため息を吐きだすように、ぼそりと言う。
「……逢いたい」
「だったらすっきりふられてこればいい。忘れられないのなら、逢いにいけ。泣くなら今度こそ完膚なきまでにふられた時か、相手が死んだ時に泣け」
前触れはなかった。そうかい、と涙声になったと思ったら、男の目からぽとりと水滴が落ちる。美男子は泣き方まできれいなのだなあ、とわらびは変なところで感心してしまった。
じっと眺めていると、見世物ではないぞ、と橘宮は袖で面を覆う。
「大の男を泣かせて楽しいかね、わらび。おまえのそのようなところが情に無頓着なのだと前々から申しておろう。言葉巧みに人の心を弄びおって。末恐ろしい女童だ!」
河原院でとんだ拾い物をしてしまった、と愚痴りながら男はまた盃を取る。酒のせいかもしれないが、面に生気が戻ってきた。
「ひき丸。元はと言えば、そなたが行き倒れのこやつを拾ったせいではないか。よいか、しっかり面倒を見よ」
「はっ。申し訳なく……」
「謝るのはちと違うぞ。これでも、こやつに目を覚まさせられた身、いや、酔わされた身なのでな」
顔を青くさせたひき丸が頭を下げるが、橘宮はすくっと立ち上がる。
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