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「男子ならば、生涯に一度は覚悟を決めねばならぬ時がある。今がその時なのかもしれぬ」
澄んだ黒い眼に迷いはもう見られなかった。
「さ、ひき丸、支度せよ。逢坂の関へ参る。今から行けば、夜半には追いつけるであろう」
「宮様?」
逢坂の関は西国と都の境にある山の中の関だ。
ひき丸が意味を取り損ねたように尋ねるが、橘宮は頓着しない。家人たちを呼び出して、馬を牽かせ、握り飯を作らせ、動きやすい狩衣に着替えた。
夕刻にさしかかるころ。橘宮はお供ふたりを引き連れて出発した。もちろん、お供とは、ひき丸とわらびである。
馬に乗った男の後ろをふたりがついていくのだが、わらびの足取りは重くなる。
「どうした?」
ひき丸が聞けば、わらびは腹を押さえた。すると、ぐごごおおおおっ、とすさまじい怪音が鳴り響く。
「あっはっは」
わらびの腹の音に橘宮は大いに笑うが、ひき丸は心配そうに囁いた。
「食ってないのか」
「うん。見つかってないもの。しかたないよ」
「……厄介だな。俺も今、手持ちがない。倒れそうか?」
「まだ、だいじょうぶ」
「俺も道中、気を付けてみているから、我慢してくれ」
わらびは頷いた。橘宮からは握り飯を持たされているのだが、わらびには何の腹の足しにならないのだ。
運よく落ちてないかな、と地面を舐めるように眺めながら歩く。
「わらび、そっちじゃないぞ」
時折、ひき丸に正しい道へ引き戻されつつも、おおむね順調に都を出ることができた。
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