【おぼろの桃園】いざ、桃園へ

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「ここがおぼろの桃園なんだね」 「そうだな。ちょっと驚いたな。本当に、いつ来ても満開なんだろうな、ここは」  二人は洞穴の出口から桃園へと下りた。  わらびは聞いた。 「どの枝にする?」 「なるだけ、扱いやすそうなやつでいいだろ。このあたりとかどうだ? ちょうどいい長さだし」 「わかった」  わらびは言われた桃の木に器用に上る。八分咲きの桃の枝をぼきりと折り取った。ついでに隣の枝もちょうどよさそうな塩梅(あんばい)だったので、こちらも折った。これで枝は二本だ。頼まれた分には足りただろうか。 「量としては十分だろうが、素手で折り取るやつがいるかよ」  小刀を渡そうとしていたひき丸は苦笑いになる。 「人に渡すんだから、せめて折った枝を整えておけ」  わらびが桃の木から下りると、ひき丸は今度こそ小刀を渡してきた。断面が汚いから削れということらしい。しかたなく、根元で胡坐(あぐら)をかき、折った枝を削る。  その間に腰に太刀を佩いた少年は近くに会った別の木の枝にまたがって座った。わらびはにっと笑う少年を見上げながら言った。 「ひき丸もやればいいのに」 「『失せ物探し』を頼まれたのはおまえだろ。俺はただの相棒兼護衛兼お守役。肝心の『失せ物』に関わるのは事情が少し違ってくるのさ」 「変な理屈だね」  しばらくして、枝の形がそれなりに整った。 「できたか?」 「たぶん」 「なら、こっちへ来いよ。ものすごい景色がいいぞ!」  ほらほら、とせかされるがまま、わらびも高い枝によじのぼった。二人が上った桃の木は周囲から見ても、ひときわ大きな桃の老木だった。  どこへ首を巡らしても絶景だ。どこもかしこも桃の花。小川を遡った先には小さな滝もある。しかし、人の気配はついぞなく、風や水の音のみが耳に届く。現実(うつつ)から離れた、二人だけのための景色だった。 「不思議なところだね。風の匂いが他とちがう。澄み切ってるよ」 「極楽ってやつもこんなところかもしれないなあ。絵に描きたくなる。急な話だったから道具は持ってこられなかったんだよなあ」  しみじみと言うひき丸は、絵を(たしな)む。わらびの目から見ても上手く描く。生き物を題材にしたものが得意で、まるで動き出しそうなほど生き生きとした筆遣いなのだ。 「残念だったね」 「仕方がないから目に焼き付けておく。んで、後で思い出して描くさ。こんな景色、描かない方が間違ってる!」  元々の細い目をこれでもかと開いて見せるひき丸である。
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