千代にかざせよ、桃の花

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千代にかざせよ、桃の花

 目当ての枝は手に入れることができた。あとは届けるのみだ。  おぼろの桃園へ立ち入れるのは、この機会が最初で最後だと思うと離れるのがもったいない気持ちにもなるが、五井の姫君の出立前には邸宅に辿り着くために再び暗く長い洞穴を抜けた。  抜けてもなお、外は茫洋とした霧に包まれている。  彷徨ううちに、霧が晴れ、山から下りることができた。  辺りは暗い。東の山の端がほのかに明るくなっている。 「夜明け?」 出発したのは夜明け前で、今は夜明け。桃園で少なくない時を過ごしたはずだから、今は。 わらびが首を傾げると、ひき丸の身体が石のように硬直した。 「まずいぞ、わらび。少なくとも丸一日は過ぎてるみたいだ」 「丸一日も? どうして?」 「おぼろの桃園は、時知らずの桃園だったということだ。あの桃園では時の流れ方が違うんだよ! 俺としたことが、全然気づかなかった!」  ひき丸は歩いていた足をどんどん速めていく。わらびも釣られて駆け足になる。山の斜面を駆け下りる。 「すごいところだったんだね」 「なに、のんきなことを言っているんだよ! こうしている間にも姫君は都を出立しているかもしれないということだぞ。ほら、走れ走れ!」  指摘されてから初めて事態を呑み込んだわらび。枝二本を慎重に両腕に抱えながら走る。ひき丸も追い越した。 「おい、わらび。逆だ、逆! 右の道に入るんだ」 「わかった、右ね!」 「そっちは左だ!」  首根っこを掴んだひき丸に方向修正されながら、下山して、都へ入る。途中ですれ違った者に暦を聞いたが、時が飛んだのは一日で済んだようだ。  五井の姫君の住む小路にさしかかったところで、今まさに従者とともに出発しようとする牛車が見えた。  よし、間に合った、とひき丸が力強く拳を握る。 「おまえは牛車の後ろから例の枝を渡せ! 俺は牛を()牛飼童(うしかいわらわ)を止めるから!」 「わかった!」  わらびは、出衣(いだしぎぬ)のされた牛車へ駆け寄る。山から走り通しで息も上がるが、「もし!」としっかり声を張った。  牛車が止まる。 「五井の姫君の御車とお見受けします」 「……何用です」
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