千代にかざせよ、桃の花

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◇  二人が邸宅まで辿り着いてからまもなく、宮中の参内(さんだい)から家の主人が帰ってきた。 二人が呼び出された時、黒の直衣(のうし)をけだるく着崩した貴公子が庭を臨む板敷で酒の入った(さかずき)をかたむけていた。 「戻ったか、おまえたち。戻りが遅かったではないかね。首尾はいかがであったか」  橘宮(たちばなのみや)が穏やかな目で庭先に立った少年少女を見下ろす。  わらびは素直に裸の枝を差し出した。男は不思議そうに腰を浮かせて、枝を受け取る。 「なんだね、これは」 「桃の枝だよ。むしられて投げ捨てられたんだよ」  事の顛末をわらびの口から聞き終えた橘宮(たちばなのみや)は、そうかい、と苦笑いをした。 「昔と変わらず(こわ)いひとなのだな。なるほど、すっきり未練も断ち切らせようとさせてきたか」 「今でも忘れられないの?」 「む……。そうとも言えるかもしれぬな」  橘宮は迂遠な言い方をしながら、桃の枝を眺めつすがめつしている。 「たしかにあれほどしっくりきた女人はいなかったよ。共に生きていきたいとも願っていた。今となっては遠い幻のごとくだ。花の落ちたこの枝のようなものよ」 「後悔しているなら離れなければよかったのに」 「叶うのならば、とうにそうしておる。できなかったから愚痴るのだ」  男は(ささ)にゆるゆると口をつけたが、ふと面を上げた。 「姫の父は、玄家(くろのけ)にゆかりのある者に娘を嫁がせるつもりだったのだ」  玄家(くろのけ)は朝廷の権力を握る化人(けにん)の一族である。繋がりを持ちたいと願う家は星の数ほどいる。 「翻して、わしは父の代でいわば没落した宮家の男だ。天人であるが、己の宝珠(ほうじゅ)が強いわけでもない。帝位が転がり込むわけもなし、先の見込みはない」  この世には、天人(てんにん)化人(けにん)がいる。 天人は皇族。身に宝珠を宿して生まれ、世を清浄にする役目を負った者。 化人(けにん)は天人以外の者。本性は畜生(ちくしょう)。死ねば人の姿を失くし、おのおのの本性に返る。 朝廷は、天人を支える大勢の化人(けにん)たちで成り立っている。そして、天人の中でもっとも宝珠の力が強い者を帝とするのだ。   「ゆえに、わしと姫は引き裂かれたのだ。  だがな、最後の思い出にと、姫とともに駆け落ちの真似事をしてみたのだ。それがあの《おぼろの桃園》なのだ。あそこは現実(うつつ)の厭わしさから逃れられる桃源郷と言えよう」
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