夏という思い出

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夏という思い出

 窓の向こう、晴れ渡った空の青が目に飛びこんできた。  遠くの夏が、とうとつに胸の奥からあふれだす。  ばあちゃんちで食べた、でっかいスイカ。  麦茶にそうめん、かき氷。  扇風機のぬるい風、蚊とり線香のにおい、風鈴の澄んだ音。  遊びほうけた夏休み。  青い空と白い雲。  耳が痛いほどの蝉しぐれ。  プールにアイス、夏祭り。  輪投げに射的、金魚すくい。  わたあめラムネ、焼きトウモロコシ。  夜空の花火に興奮したのは、線香花火で競争したのは、いつの夏だったろう。  目に肌に、耳に鼻に。  浮かんでは消えていく。  夏の風、夏のにおい、夏の音。  特別なことなんて、なにもなかった。  忘れられない夏。心に焼きついて離れないような、特別な夏。  そんなものには、まるで縁がなかった。  ただ走って、笑って、親の小言に舌をだして。  一日がとても、とても長くて、大人になるまでの時間を想像しては途方に暮れていた。  それがいつのまにか、気がついたときには大人になっていて、ときおり思いだす『夏』は、とても鮮やかなのに、ひどく遠くなっていた。  どの夏も二度とこない、一度きりの夏。  それでも、思いだすのはいつかの『ひと夏』じゃなくて、ひとかたまりになった、おおきな『夏』だった。  *  病室の窓から見える空が、抜けるように青い。  なぜだろう。  あふれだした遠くの夏が、今この瞬間にかさなって、きらきらと輝いて見える。  すべての夏が、今を祝福しているみたいだ。  今日、家族が増えた。  生まれてきてくれたのは、元気な女の子。  生んでくれた妻は母親に、オロオロしていただけのぼくも父親になった。  もしかしたら、いや、たぶん間違いなく、今年は人生ではじめての特別な夏になる。  娘が生まれた夏。  親になった夏。  これからはきっと、一年一年が特別な夏になる。      (おしまい)
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