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「確かに、そのせいでおまえらをたいへんな目に遭わせたし、それは本当に申し訳なかったと思うし、許してもらえなくても仕方がないし、俺が最低の人間なのは変わりがないんだけど……それでも、あのときおまえに声をかけていなかったら、俺はおまえと知り合えなかった。そうしたら、きっと今ごろは、町で浮浪者に殺されてるか、アパートでオヤジに殺されてるか、学校でいじめ殺されてるか……とにかくもうこの世にはいなかったと思う。ただ、殺されてもたぶん、俺は喜んで死んでたと思う。死ぬ方が楽だったから」  坂本は口をつぐむと顔を上げた。言葉もなく坂本の言葉に耳を傾けている柊人を、まっすぐに見つめる。 「今、俺、生まれて初めて……生きてみたいって思ってる」  頭を強く殴られたような衝撃を感じ、柊人は瞬きも呼吸も忘れた。  坂本は照れ隠しめいた笑みを口の端に浮かべると、柊人のまなざしから逃れるように目線を落とし、それからおもむろに口を開くと、一言一言、かみしめるように言葉を紡ぐ。 「俺は、本当は生きる価値なんかない人間なんだろうし、生きてちゃダメな人間なのかもしれないけど、……でも、できればもう少しだけ、生きてみたい。生きて……もう少しだけ、おまえと一緒に、いたい。おまえと一緒なら、こんな自分でも、もしかしたら、生きていてもいいのかもしれないって、思えるから……」  うつむき加減の坂本の目元から小さな滴がこぼれ落ち、シーツにまるい水玉模様を描いていく。  柊人は胸の奥底から、わけのわからない感情が一気に溢れ出してくるのを感じた。書き途中のメールを放り出し、坂本の細い体を無我夢中で抱きしめると、思っていることの何十分の一も表せないんだろうと思いつつも、溢れてくる思いを言葉の形に整え直して紡ぎ出す。 「ダメなわけがねえだろ……生きていていいに決まってるし、生きていてくれなきゃ俺が困る。安心しろ。もし世界中の人間がおまえの敵に回っても、俺だけは絶対におまえのそばにいる。だから、少しとか言わずにずっと生きろ。生きて、……俺と、ずっと一緒に、いてほしい」  柊人の胸に顔をうずめたまま、坂本は小さくうなずいたようだった。  柊人はそのあたたかみをもう二度と手放さないように、さらにしっかりと両腕で抱え込む。  もちろん、このままハッピーエンドで終われるほど人生は甘くない。そんなことは、柊人だって百も承知だ。  そもそも、敵の本拠地のど真ん中で暮らそうというのだ。どれほど人権に配慮がなされていようが、事実上それは捕らわれの身と変わらない。教団のあのえげつない目的から考えても、これから先、あれこれ不条理な事態に巻き込まれて翻弄(ほんろう)され続けるのは必定だろう。  それでも柊人は、このつかの間の安息を大事にしたいと思った。  命やお金の心配をせず、自分を切り売りすることもなく、心穏やかに安心して生きていられるこの生活を少しでも長く、できれば坂本が心の健康を取り戻すまで続けたいと思った。坂本が元気になってくれさえすれば、がけ下に突き落とされるような事態が起きても、二人一緒ならきっと乗り越えていかれる。柊人はそう信じていた。信じていたいと思った。  もちろん、この時代、妄信するだけの者は救われることもなく騙されて終わる。柊人の言う「信じる」は、どちらかと言えば「為せば成る」に近いものだった。  弗慮胡獲、弗為胡成((おもんぱか)らずんば(なん)()ん、()さずんば(なん)()らん)。  たとえ成就が不可能な願いを抱いたとしても、強い願いはなんらかの行動を起こす引き金になりうる。その行動が意味のある結果を生めば、その結果が願いの成就につながっていく可能性も十分にある。柊人はそう「信じて」いるのだ。  その証拠に、自らの行動が引き寄せた得難い結果が、こうして今、確かに自分の腕の中にあるのだから。   (了)
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