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「嫌な夢をみたよ」
女がしゃべった。
洗い物をする背は振り向かない。
女の薄墨色の目が眺める背は、若い男。この町の小さな高校に通う学生だ。
「こんなになっても夢を見るから……恐いねぇ、人の世は」
ばさばさと長い黒髪が、片膝を抱える女を包む。
長い前髪から青年を見続けている顔は、意外に幼く、青年と同じ年頃か、またはそれ以下に見える。
つれない青年は黙ったまま洗い物を続けている。
「そーいや、私は人の世の住人かい? ……まぁいい。それでいい。今朝は気分が良いんだ。……呪われろッ」
女は言葉の最後を投げるようにして言い放った。少し擦れた声が部屋に響く。
しかし青年は、ずり落ちて来た袖へと口を寄せ、器用に上げただけで、変わらず洗い物を続けている。
女は少し黙った後に、華奢な手を重たげに上げ、前髪を掻き上げた。薄墨の目が咎めるように、しかし構ってくれぬ事に腹を立てている子供の様な色を含み、すっと細められた。
「聞こえているかい? 小僧。聞こえてるんだろうよ、聞こえてないはずないさ、……夢だよ! 夢! 夢を見たんだ! 」
「……はぁ」
ようやく青年が一息つき、顔を上げた。壁に掛かる時計を見ると、タオルで手を拭い、数歩移動をして、次は料理を始めた。
女はそれを見て馬鹿にしたように手をひらひらとさせた。
「お前は手順が悪いね、段取り八部って言葉を知らないのかい? 全くのクズだね、呪われていらっしゃる」
「…昨日の夜の洗い物だったんだ」
卵を割りながらぽつりと言った青年の言葉に、女が鳥の笑い声を上げた。
「はっ、聞こえている! ほらぁ、呪われてる! 」
まるで勝負ごとに勝ったかのように、手を叩き喜ぶ女。
呆れたようなため息が聞こえ、青年が振り返った。
短い金こげ茶色の髪に青い目。十代にしては大人びた顔つきで青年が言う。
「話し相手が欲しいなら犬でもむかえようか? 犬なら君の相手も出来るだろ」
「呪われろ。畜生なんか連れてきたら床が汚れる。床が汚れてると、……ダンナ様が怒って、ぶつんだ」
女は表情を険しくさせ、まるでそこまで「ダンナ様」が来ているとでも言う様に、自分を抱き締めた。幼い唇がぎゅっとへの字を結ぶのを眺め、青年は肩をすくめた。
「ぶたれやしないよ」
少しだけ優しい声。
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