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 あと一週間で両親の13回忌を迎えるという日、鷹宮は実家で法要の準備をしていた。とはいえ彼は実家に戻ってからもう10年にはなるし、13回忌法要は限られた親族だけで行うため気楽なものだった。香典も断ってあり、正月の集まりからせいぜいひと月しか経っていないため、会食もしない予定だった。  ふだん掃除しない仏間の埃をとり、庭に面した窓を拭いて空気を入れ換えたところで、「俊樹(としき)くん、あいかわらず冷蔵庫のなかになにも入れてないのね。お昼はどうしようか?」とカラカラと笑いながら叔母が声をかけた。  鷹宮は苦笑した。母の妹である叔母は、半年に一度程度この家を訪れる。姉夫婦に線香をあげにくるためでもあるが、彼女にとってもここは実家だった。叔母と鷹宮がかち合うことは少ないが、実家に帰ると彼女は必ず料理をし、姉に供える。鷹宮の寒々しい冷蔵庫事情は心得ているのだが、やはり可笑しいらしい。  今朝までは、ハムと期限切れの卵があったことは面倒なので黙っておいた。 「叔母さん、忙しいでしょう。自分で材料買って作るからいいよ」  今日は食材をなにも用意していない叔母は、鷹宮の暗黙裡の拒絶に複雑な顔をした。だが諦めたようにため息を吐き「あなたがいいなら、それで」と、部屋を出た。 “あの子はあのことがあってから、心を閉ざしてしまって…………。情熱もうしなって…………、よりによって交通課の警察官になるだなんて、あの子をどうしてあげたらいいんだろう”  彼らは痛ましいものをみる目で鷹宮をみる、いまだに。両親が亡くなってから13年目だ。自嘲するしかない。多忙ではあるが、無礼にあたらない程度には親戚の集まりに顔を出している。自暴自棄になどなってやしない。彼なりに出した答えが、警察官になることだった。  けれど、一度入った亀裂あるいは誤解や齟齬は、少なくとも一方が誠意を尽くさないかぎり改まることはないのだろう。しかしこの場合の誠意とはなにをいうのか。「心配しないでいい、自分は大丈夫だ」と示すことだろうか。  …………示しているつもりだ。いや、彼が生きていることが、それを示すことになっているはずだ。きっと、自分から傷口を抉りにいっているように他人には映るのだろう。それについて否定も肯定もない。   「俊樹くん、忘れていたんだけれど、これ。ごめんなさい」  コートとマフラーをもった叔母が引き返してきた。「姉さんの部屋にまとめて放ってあったのよ。ゴミに出すのかと思ったんだけど、どうもそうじゃないようだったから。勝手に見ちゃってごめんね」  鷹宮はおもわず、と叔母を凝視した。気味が悪かったのか、彼女は鷹宮にそれを手渡すとあとの言葉を(まく)したてた。「このあいだも言ったけど、叔母さんは13回忌には出席できないから、みなさんによろしくね。近いうちにまた寄りますからね」  夫の手術の日程と重なり、13回忌法要にどうしても融通が利かないとのことを聞いていた。慌ただしく去る叔母になんと返したか、しかしそんなことはどうでもよかった。鷹宮は瞠目していた。こんな――奇異な――符号が。それひとつではおよそ重大な意味をもたないもの同士が、彼の頭のなかで結びあわさった。  掃除のついでだからと、自分の部屋の要らない物も処分しようとして、とりあえず廊下や、母の仕事部屋だった隣の部屋にそれらを置いて回収し忘れていたものだった。それは束になったいくつかの新聞記事で、それぞれ日付はことなるが同じ年の夏のバスケットボール大会のものだった。  ――――面影をたどることができる。……?  若木のような弟の目鼻立ちに、姉を重ねることができるだろう。   “インターハイ準優勝――大健闘の県立北高校――選手らの笑顔華々しく”  小さいが5人写った写真。  そして、叔母が何気なく口にした言葉。 “関東大――インカレきょう初試合” “新島選手、周囲の笑い誘う「はやく家に帰りたい」” “ケガが心配された鷹宮選手は出場” “これ、姉さんの部屋に――――”    拒絶するかのように伏せられた瞼、疲れたような崩れと葛藤のみえた横顔――――、弟の胸に抱かれていた姉。同時に、なにかを深く諦めたような、それでも彼女を放そうとしない弟が纏う狂気。 「…………新島有紗、新島泰明」  職務上知り得たその姉弟の名を、鷹宮はつぶやいた。
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