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19-3
ちょっと小ぶりな箱から、煙草を一本抜きだした。
シュッ、シュッ、シュッ、シュッシュッシュッ、――シュッボッ……。
火が点いて、ライターがガス欠寸前の弱よわしい灯火を燃やした。監督は口に咥えたちょっと短めのサイズの煙草に火を移し、めいいっぱい吸いこむと、モクモクと鼻から煙を出した。
……せっかく、黒木樹が自信をとりもどし、彼女の魅力をあますところなく発揮して、ええ作品ができたのに、うまいこと次につながらへんかったなあ。権藤が急に借金の返済を迫ってきよったから……わしは睡眠薬を買うてきて……いや、まてよ……。
監督はズボンのポケットに手をつっこんだ。ポケットから睡眠薬の瓶が出てきた。――なかみはからっぽ。
あっ! 監督は驚いた。咥え煙草のまま、瓶と床の吐しゃ物を交互に見かえした。
「わし、自殺に失敗したんか!?」
口から煙草が垂れさがり、下唇に吸い口をぶら下げて、監督はからっぽの睡眠薬の瓶を見つめる。睡眠薬を無理やり水で流しこみ、呑みこむとき、のどが苦しかったことを思いだす。蕎麦を啜るときののど越しのここちよさではなく、まるで煎り豆を歳の数のぶん呑みこんでいるようなここちわるさだった。
監督は床の吐しゃ物に目を移した。そこから、イソップ寓話「金の斧」のヘルメース神よろしく、女神が浮上し、監督の口から吐きだされるゲロの噴水にまみれている姿が見える。
……エリコちゃんや。たしか、わしが放ったゲロを真正面からまともにうけとめとった。それに――監督は背骨にここちよい痛みを感じていた。ふだんから、ストレッチなどまったくしたことのない丸まった背中は、気持ちよく伸びていた。
十郎はんがわしを羽交い絞めにして、体を揺すぶりおったんや。それで、オエーッとなって、ゲロを一発吐いたんや。胃の中から睡眠薬をぜんぶ吐きだして……。監督はぼおっとくだんの出来事を思いかえしながら、口に垂れさがっている煙草をつまみ持ち、喫いなおした。
……そういえば? 翔馬くんに愛香ちゃんはどないしたんやろう……
「……なんや? どうでもええけど、不味い煙草やな?」
監督は喫いかけの煙草をたしかめた。ここで監督は、いま喫っている煙草が自分のいつもの煙草――アメリカ魂・ライト――でないことに気がついた。
「……このショッポ(ショートホープ)」監督は総毛立った。「権藤の喫っていたやつとちゃうんか――!?」
監督は、喫いかけのショッポ(ショートホープ)を、灰皿で揉みくちゃにして消していたヤクザの権藤の姿を思いだしたーー
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