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晴海がいなくなったのは、悠馬がその幸せをわずかながら理解でき始めたとき――3歳のころだった。
「お前は、捨てられたんじゃない。お前の母さんは姿を消すことで、俺たちを守ったんだ」
めったに泣くことのない和臣が、涙をぼろぼろとこぼしながら絞り出したその言葉は、今でも悠馬の脳裏にこびりついている。
和臣はしばらくして仕事を辞めた。多少の貯えと日雇いの仕事を渡り歩き、悠馬は共に母を探す日々を過ごした。
1年ほど経ち、日雇いの仕事をしているとはいえ少しの貯えはすぐに底をつきかけた。この生活をこれ以上続けては、悠馬にいい影響は与えられないのではないかという懸念が和臣の中で生まれた。
悠馬のために晴海を探し出すことと、ひとところで暮らすことのどちらがいいのか分からなくなっていたころ、和臣は偶然晴海に似た人の情報を手に入れる。
これが最後、と考えて向かった先は、一般道から入り込み、湖の近くに立つ洋館だった。秋の終わり、足元を這う冷たい空気に冬を感じ始めたころのことだった。
意を決して呼び鈴を鳴らす。中から人の足音が聞こえたとき、悠馬は和臣の手が震えていることに気付いた。
「どちらさまですか?」
そう言って出てきた女性は、背格好こそ晴海に似ていたが、まったくの別人だった。そして和臣は気付く。晴海の情報は誤りで、この女性と見間違えられたのだと。
口を震わせ、涙をこらえながら非礼を詫びる和臣の姿を見て、悠馬はその脚に抱き着く。そして和臣に代わるように、大きな声で泣いた。
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