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「さて、私も仕事に取りかかるか」
十分に換気された部屋の空気を目いっぱい吸い込み、窓を閉め切って薄手のビニール手袋を装着する。
ビニール手袋を装着した手を伸ばした先は、プラスチック板に囲われた、透明な立体物だった。
透明な板の上に、雫が落ちた瞬間の水面が乗っており、その下には艶やかな赤色をした尾びれを優雅にくねらせる魚もいる。
もちろん本物の水でもなければ、生きた魚でもない。紫外線硬化樹脂、いわゆるUVレジンを用いた作品だった。
その作品を太陽の光に当て、千咲は透明度や光の反射具合を確認する。先ほどまで手で触れ、目で確かめた水の動きを頭の中で何度も再現しながら、何度も何度もレジン液を重ね、筆で伸ばして調整を進めていく。
千咲の耳には周囲の音は届かず、時間の流れは千咲を避けるように進んでいった。
日が山と溶け始め、その色を郷愁へと変えていく。
鮮やかながらも優しさを感じさせるオレンジに染められた千咲の部屋に、ノックの音が響いた。
千咲はその音に気付かず、何の反応も示さないまま作品作りに没頭している。
反応がないことに慣れている様子で、千咲の部屋のドアがゆっくりと開く。顔をのぞかせたのは悠馬だった。
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