殻と檻

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 トレーシングペーパー上を走ることのないペンを持ったまま、千咲は固まっている。そんな様子を見て、清香は声をかけるかかけまいか逡巡し、何も言わないことを選んだ。  動き出すのを待つ間、手元のタブレットに入れている自分の作品データを見返し、分析をする。  2作品目の途中あたりでトレーシングペーパーの上をペンが動く音が聞こえ、そっと千咲の方に目を向けると、顔の赤さはほとんどそのままだが、懸命に何かを書いているのが見えた。 「構図、できました」  弱々しい声と共に千咲は図面を差し出す。先ほどの展示方法とは別に、球体と板の詳細が描き込まれていた。  当初の予定通り、板には波紋と小さな波が浮かべられることが描いてあり、球体には大きな鱗――それも玉虫色よりは淡くはかなげな色合いで、見ようによってはハートとも言えなくもない形――が、水草に囲まれ、水底の砂利の上に沈んでいた。 「……これ、早く立体で見たいです。イラストだけでここまで『好き』と思った千咲さんの作品、初めてです」  清香の言葉は耳には入っていても脳にまで届いていないようで、千咲は生返事を返す。その様子は気に留めず、清香は構図をスマートフォンのカメラで収める。  顔に長いこと血が集まっていたせいか、放心した様子の千咲の首回りには、うっすらと汗が浮かんでいた。 「私に言えることは何もないくらいの構図が上がりましたね。さっきの岩屋さん効果ですか?」 「え!?」 「冗談ですよ」  千咲の反応にひとしきり笑ったあと、清香は指を組んで上に向かって伸びをする。この短い時間で大きく清香に揺さぶられ、先ほどまでの千咲の混乱は彼方へと飛んでいった。 「今日はそろそろ家に帰らないといけないので、お暇しますね」
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