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第1話 妖精の記憶(5)
そして、夏。
プールの授業で、偶然私と彼は二人だけ見学だった。
風邪の病み上がりの私と、バスケの突き指の彼。
体操着姿で日陰に座り、泳ぐ皆を眺めていた。
「ねえ、ずっと思ってたんだけどさ、委員長ってなしていっつも指動かしてんの?」
急に話し掛けられて、私は息が止まりそうになった。
「あっ、えっと……これ、ピアノ弾いてるの。私、頭の中に鍵盤があって、気が抜けるとついそれを弾いちゃうんだ……」
「へえ! 同じだ!」
彼は一気に目を輝かせた。
「俺も、頭の中に氷があるんだ。スケートリンクってほど立派なもんじゃないけどさ、湖が凍ったみたいな、割と広い氷ね。気付くと意識がそっちに飛んで、滑ってるよ。そんな感じ? あれ、全然違う?」
「ううん! ちがくない、同じ!」
私は頷く。
「あれってどこにあるんだろうな?」
急に真顔になって彼は言った。
「頭の中じゃない?」
「うーん。でも、俺、絶対に行ったことある気がする。全然思い出せないけど」
その目は、プールのフェンス、更に向こうの校舎を通り越して、青空のどこか遠い一点を見つめていた。
あまりにも真剣な眼差しに、つられて私まで空を見る。
雲一つ無い、抜けるように高い空。
焦点が掴めず、目を細めた。
「夢の中かもね。君の夢の中に、いつもあるんじゃないかな」
私が呟くと、彼は一瞬目を見開いて、夢かあ、と溜息をついた。
「じゃあ、いつかは無くなっちゃうな。行けるうちにいっぱい滑っとくべ」
「無くならないよ」
咄嗟に声が出た。自分でも驚くほど大きな声だった。
「……私の鍵盤も、君の氷も、ちゃんと覚えていれば、大人になっても絶対に無くならない」
強い思いを込めて、私は言った。
彼は少しの間、穴が開きそうなほど私を見ていた。
ばしゃばしゃと水が跳ねる音に、先生の笛の音が重なる。
「じゃあさ、俺が委員長の鍵盤を覚えておくから、委員長は俺の氷を覚えていて」
氷の欠片が日光を反射するように、彼の黒目に光が走った。
私は強く頷いた。
「いいよ。そうしよう。私、絶対忘れない」
「俺も忘れない。忘れた方はさ、大人になったらリボンナポリン十本おごる。約束な」
彼は小指を差し出した。
高鳴る鼓動が伝わりそうで怖い。震える小指をそっと絡めた。
「うん、約束。……百本でもいいよ」
照れ隠しに付け加えると、
「冷蔵庫に入らないでしょや」
彼はきゅっと小指に力を込めた。
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