私は今日も小麦粉で手をまぶす

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 あの夏からもう二年もの時がたった。  あの学校にいたのは本当に短い間だけだったが、私があの夏のことを忘れたことは一度もない。  しーちゃんはあの後お父さんとは引き離され、児童養護施設に入ることになった。何度か養子に来ないかと誘ったこともあるが、しーちゃんはまだ何処かでお父さんを待つつもりでいるらしい。  そこまで話して、私は眠っているしーちゃんの顔を見る。  しーちゃんとは児童養護施設の方に許可を貰って、月一ぐらいでまだ会っていた。今日は、今までほとんど何も聞かないでいてくれたショウくんに、初めてあの夏の話をした。  ショウくんはやっぱり、何も聞かないで私の頭を撫でてくれた。 「……無事でよかった」何処に向けられたか分からないそんな小さな呟き声に、何故だか泣きそうになる。  小さかったしーちゃんは、もう小学四年生になった。  しーちゃんはまだ私のことをお母さんと呼ぶ。  ショウくんのことは「おじさん」と呼んだりするんだけど、ショウくんはそれで怒ったりしない。ゆっくりしーちゃんの頭をなでるショウくんの顔は優しい。  私や、たまにショウくんも一緒にしーちゃんに会いに行くと、しーちゃんはいつも沢山の話をしてくれる。  学校のお友達のこととか、施設であったこととか。そこにはお母さんやお父さんの話も混じっていて。その話の半分以上が嘘か妄想の類であることを私は知っている。  しーちゃんはよく嘘をつく癖だけは何年たっても治らなかった。  でも私はそれを否定したりせず、そうなんだねって聞くようにしている。きっとそれは、しーちゃんの中では本当の事なんだ。きっといつかしーちゃんが嘘をつかなくてもすむようになるまで、今はただ見守っていたい。  しーちゃんが開けてくれた扉が閉められないよう、私は必要であればば小麦粉を手にまぶすことだってしたいと思う。  私はもうすぐやってくる次の春に、ある小学校に勤務することが決まっていた。  虐待で保護された子供は児童養護施設で生活し、近くの公立学校に通うことになる。私の最初に勤務する小学校は、そんな色んな事情を抱えた児童養護施設からくる生徒も多く通う学校だった。  そうして、いつかひと段落ついて落ち着いたら、ショウくんとも結婚しようと話している。  この先どうなるのか、どんなことが待っているのかはまだ分からない。私がこれから自分のした選択の間違いに嘆くこともあるかもしれない。  それでも今は、私はショウくんとしーちゃんと、子供が出来たらしーちゃんお姉ちゃんになるねとか、そんないつになるかも分からないような未来の話をする。
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