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しーちゃん。しーちゃんの本名は松崎史恵という。
自分のことを「しーちゃん」って呼ぶ、ふわふわとしたくせ毛がトレードマークの可愛い女の子だ。
しーちゃんは私のことを「おかーさん」と呼ぶ。
それは、私が初めてクラスにやって来た時からそうだった。私はそれにいつも「お母さんじゃないよ」と返すしかないんだけど、しーちゃんは一向にその呼び方を止めないまま、気付けばもう二週間も経っていた。
しーちゃんは他の先生と比べても、よく私に懐いていたと思う。
「おかーさんは、お日さまのかおりがするねぇ」
しーちゃんは私に抱き着いて、よくそんなことを言った。そんな時浮かべるしーちゃんの笑顔は本当に可愛くて、天使みたい。
「あのね、前ねー、おかーさんとピクニックに行ったでしょー。しーちゃん、またあそこ行きたいなぁ。ゾウがいるとこだよ。それでね、サンドイッチを食べるんだ」
しーちゃんは休憩時間、いつも私の所にやってくる。話すのはいつもしーちゃんで、しーちゃんは私が話を聞いているだけで満足みたいだった。でもしーちゃんが話すのは家族の思い出話が多いから少し困る。
「しーちゃん、私はお母さんじゃないよー」
そうやって私がやんわりと返すと、しーちゃんは「んーん」と、曖昧な返事をして気にせず続けた。
「昨日もねー、おかーさんとおとーさんとしーちゃんで、しゃぼん玉飛ばして遊んだでしょ? また公園、三人で行きたいなー。ねえ、おかーさん」
分からない。私はそれをいつも否定することも肯定することも出来ずにいた。
私はそれを最初、お母さんとの思い出を私と混合して考えているのだろうと思っていた。どういう訳か分からないけど私としーちゃんのお母さんはよく似ていて、お母さんが学校にもいるつもりできっと話しているんだろう。そんな風に。
でも、担任の先生で、私の指導教員でもある山本先生の話を聞いてすぐに、それは違うのだと分かった。
結論から言えば、しーちゃんの語ったお母さんの話は全部しーちゃんの妄想だった。
だってそうだ。しーちゃんは今お父さんと二人暮らしで、お母さんと暮らしてはいないんだから。
それが分かっても、私にはどうすることも出来ないのだと思っていた。しーちゃんがお母さんを求めていたのだとしても、それがそんな嘘を生んでいたとしても、私はしーちゃんのお母さんにはなってあげられない。
いくら研修中だとしても私は教師で、しーちゃんは生徒なんだから。その時は、そう思っていた。どうしてしーちゃんが私を「おかーさん」と呼んだのか、私はその本当の意味に気付けてすらいなかったんだから。
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