第4話

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第4話

 あれから少しの間、クローバー家、ゴダードを襲った火事について彼女たちの間での談義が続いた。件の火事については一人一説と思えるほどの言説が飛び交っているといえる。しかし、どの説にも共通しているのがロザリーンを疑惑の主と見ていないことだ。ではなぜ、モルトはロザリーンの正体を探れというのか。彼はロザリーンのどのような疑念を抱いているのだろうか。  朝の礼拝が終わり、マリー達三人は足早に教会から去って行った。それを見送ったファンタマは宿へとゆっくりと歩き出した。右前方の小高い丘の上で緑の木々に埋もれたベルト・エディーンを見上げ足が止まる。この風景をどこかで見たことはなかったか。少しの間記憶の中を徘徊し思い至る。何のことはない、宿の受付の隣に同じ構図で描かれたベルト・エディーンの風景画が飾られていた。あの絵はここから見た光景が描かれていたのだろう。  再び歩き出すが、今度はアラサラウスが背後に強い意識を感じ取った。強い関心を持っているが敵意はない。マリーやパール、他の相談者により旅の霊能者アリス・ストレの存在は多くの者が知るところとなった。意識の主もその一人か。  歩いているうちに消え失せるだろうと考えていたが、気配はつかず離れずファンタマの後を追ってきた。街路の角を曲がる折などを利用し背後を眺めると、意識の主は茶色い髪で細身の中年男だ。同じ色の髭がもみあげから顎までを覆い尽くしている。服装からして職工のようだ。生成りの作業着上下にしなやかに動くなめし皮の前掛けを身に着けている。機能重視だが仕立てはよい。彼はこちらに大いに関心があるようだが、ファンタマが立ち止まり振り向くと無関心を装い視線を外すか、物陰に隠れてしまう。どういうつもりなのか。  ファンタマは少し男を揺さぶってみることにした。足取りを早め、近くの角を鋭く左に曲がる。そして、アラサラウスを周囲に同化させ姿を消し男が追いついて来るのを待ってみた。ほどなく、男も角を曲がり左側の街路に姿を現した。街路の様子を窺いアリスの姿を探す。彼女の姿がないことに気づき更に前に中央へと歩み出て周囲を見回す。眉を寄せ、思案顔で戸惑っている様子が見て取れる。  そろそろいいだろう。ファンタマは姿を消したまま男の背後に忍び寄った。 「わたしに何か御用ですか?」  姿を現し声をかける。  当然の呼びかけに男は肩を震わせ素早く振り向いた。そして、笑みを浮かべたアリスの顔に肩をすくめる。目が合い息を詰まらせる。 「あ、あんた」手の平で顔を拭い、気合を入れるためか頬に平手打ちを入れる。「あんた、アリス・ストレスだよな、霊能者の……」 「ええ、わたしはアリス・ストレスです。で、あなたは、どのような御用でしょうか?」 「俺はニック・タイター、その先の工房で家具や食器とか、作っている職人だ。……あんたに話したいことがあるんだ」  タイターは左手に伸びている街路の奥を指さした。 「話したい……何をです?相談事でもおありですか?」 「それは……」タイターは周囲を見回す。「……クローバーさん家のことだ、聞いてほしいことがあるんだ」  あの一家の話題は尽きないようだ。  一歩近づき声を潜める。 「なぜ、わたしなんですか」ファンタマは小首を傾げタイターの瞳を覗き込んだ。 「それはあんたがよそ者だからだ。こんな話は村の連中には話せない」    タイターの住居も兼ねた工房は村の街路から幾分奥まった位置にあった。タイターによると、工房の規模は中程度で、三人の職人を雇い経営に励んでいる。足踏みの旋盤など導入し、家具の他に皿や鉢などの食器類を手掛けているそうだ。 彼と共に工房へと入ると、工房の一角に並べられた家具が目についた。手の込んだ装飾を凝らした箪笥に応接家具もあるが、大半は飾り気はないがしっかりとした作りの椅子や机にテーブル、棚に食器類などだ。こちらが売れ筋と見えるが、注文により対応可能ということだろう。それらを眺めながらタイターに招かれたファンタマは奥へと進んだ。 「今日は工房は定休日なんだ」タイターは人気の無い工房内を片手で示した。「それで俺も朝の礼拝に出かけてあんたを見かけた……あんなことになっちまってすまない」タイターはばつが悪そうに頭を掻いた。 「それはもうかまわないのですが……お話しの方を聞かせていただけますか」 「そうだった」とタイター。 「ここは見ての通り村からは少し離れている。一番近いのは北にある森を挟んでクローバーさんの屋敷なんだ。うちからだと前の森の中をほんの少し歩けばあの家の庭に出る。話というのはあのお屋敷で火事が起こった夜のことになるんだが……」  タイターは目を落とし、黙りこんだ。言葉が出てこず唇を舐めて荒い息を吐く。 「火事ですか?」とファンタマ。「火事というと、ゴダードさん亡くなった火事のことですか?」  ここにも一説あるということか? 「そうだ……」 「あなたも何か気になる点があるんですか?」 「あぁ……あんたは火事についてどう聞いてる?あんたも火事については知っているんだろ」タイターは質問で返してきた。 「はい、わたしが聞いたところによると、火事で亡くなったのはゴダードさんだけで、被害を受けたのは彼の部屋の床ぐらい。まるで彼自身が燃え上がったようだと 、皆さんその状況を不思議がっているようですね」 「あぁ、やっぱりそうだよな」タイターは一度溜息をついた。「俺はもっとすごいものを見たんだよ。だが、それは事実じゃない。じゃないんだが、その光景が頭にこびりついて離れないんだ」 「何を見たんです?」 「それは……火事だ、大火事だよ。あのお屋敷を焼き尽くすほどの大火事だよ」タイターは顔を上げ、ファンタマの瞳を見据えた。 「あの夜、俺は前の森の木々の間から鮮やかな橙色の光が漏れ出しているのを目にしたんだ。酒屋でたらふく飲んだ帰りの事だよ。俺は目にした色の鮮やかさに胸騒ぎを覚えて森に駆け込んでいった。その色が炎の色そのものだったからさ」 「で、どうだったんですか」 「ゴダードさんの、クローバー家のお屋敷はすごい炎に包まれていたよ。建物全部が大きな炎を噴き上げ燃え盛っていた。ゴダードさんの部屋だけがくすぶった、そんな軟な話じゃない!」 「夢じゃ……ないんですか?」とファンタマ。 「それを言われるとつらいんだ」両手で顔を拭う。 「俺はあの屋敷の前に立って燃え盛る炎の勢いに圧倒された後の記憶がひどくあやふやなんだ。気が付くと寝室にいたんだ。 着の身着のままで寝台で眠り込んでいたよんだ。目覚めたときには陽はとっくに空高くまで上がっていたよ。それであの火事があれからどうなったか心配になってあの人の屋敷を見に行った。屋敷はそのままだった。焼け落ちてなんかいなかった。何事もなかったように建っていた、まぁ、ゴダードさんは亡くなってはいたんだが……」  タイターは大きなため息をついた。 「わからないんだよ」軽く頭を左右に振る。「……俺が見たのは何だったのか。夢にしちゃ真に迫り過ぎる。あの熱に焦げ臭い匂い、庭の端で立ち尽くすあの家の人達を俺は確かに見て、感じたんだ。だが、現実はあの通りだ」 「それは誰かに話しましたか?」 「いや、誰にも」 「それをなぜわたしに話そうと思ったんですか?」 「あぁ、それはその……村の外、他の街から来た霊能者が悩み相談をやってると聞いたからさ。こんな話を知り合いに話していかれてると思われたくない。馬鹿にされたくもない。商売に差し障りかねない」  タイタ―も程度の違いはあれど、マリーと同様に近しい人には言いにくい悩みを抱えていた。そこに折よくファンタマが現れたというわけなのだ。 「結局のところ何なんだろう、やっぱり夢なのかな」タイターはファンタマに視線を向けた。 「それともおかしな奴に幻でも見せつけられたか」  自身の置かれた状況を納得させるためにこの考えに至ることは少なくない。 「その心配はありません。あなたの周囲に怪しい気配は感じられません」これは事実だ。害意の有無に拘わらず何も傍にはいない。 「恐らく……」  ファンタマは静かに目を閉じ腕を組んだ。 「あなたは酔って帰ってきた折に、風に乗って漂ってきた匂いに意識が触発されたのかもしれませんね。人が炎に焼かれる匂いなどは意識せずとも人の心を揺さぶるものです。即、死を連想させるものですから、それがあなたに凄まじい炎の悪夢を見たのかもしれません」 「なるほどね。それなら納得がいくよ」  タイタ―はファンタマが考え出した解釈に満足したようだ。結局は彼も自分が望む方向へと折り合いをつける助言が欲しかったのだ。 「もう一度聞きますが、この話は他の人に話していますか?」 「話してない、というより話す暇はなかった。さっき言ったように気がついたのは朝になっていたからな。二日酔いで痛む頭を抱えて様子を見に行けば屋敷は燃えてはおらずだ。だから誰にも話さずじまいで今まできた」 「それなら問題はなさそうですね」ファンタマはタイターに向け口角を上げた。 「あぁ、ちょっと待ってくれ」とタイタ―。思案顔で天井に視線を向ける。「いや違う、奴らには……あぁ、違う」  タイターは一人で納得し安堵の笑みを浮かべた。 「奴らとは誰のことですか?」ファンタマ訊ねてみた。何か別の情報があるなら聞いておきたい。 「あぁ、火事からしばらくして現れたよそ者がロザリーンさんの事をしつこく聞きまわっていたまわっていんだ……」 「その人たちに話を?」 「いや、奴らに話したのは夢じゃなく現実の方だよ。奴ら三人が三人ともやけにロザリーンさんに興味持ってたな。最近、様子がおかしくないかとか。本物だと思うかとか、失礼極まりない。様子がおかしくないか、当たり前だよ。あの人は最愛の旦那を亡くしてるんだぞ。それも痛ましい遺体も目にしてるんだ、少しはおかしくなっても無理はないさ」 「それは誰かのお知り合いですか?」 「いや、まったくのよそ者だよ、誰も知らない奴らだったな。どこから来たか聞いてもはぐらかされたし……」 「その彼らは今どこに?」 「さぁな……あぁ!」思い当たる記憶に行き当たったかタイターは軽く叫びをあげた。 「そういえば、一人はベルト・エディーンの下で倒れているのが見つかったてたな。部屋窓から転げ落ちたんじゃないかって話だが、身元もはっきりしないんでそれっきりだよ。他は知らない」
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