第5話

1/1
前へ
/307ページ
次へ

第5話

 モルトはファンタマにロザリーンに関する依頼を持ち込む以前に、彼女に対する身辺調査を何人かに依頼していたと、最初に明かしていた。その際には彼らでは思わしい成果が得られなかったためにファンタマの元へやってきたと話していた。  どうやら彼らは調査未了のままこの世を去り、モルトはその報告も得ることもできなかった。これが成果が得られなかった理由だとすれば、自分に調査依頼のお鉢が回ってきたのも頷ける。ファンタマを知る者たちの中にはファンタを盗賊ではなく、危険な調査をこなす諜報員と認識している者が含まれている。依頼の際に報酬として名のある宝石、調度品、絵画などを提示すればファンタマは乗ってくると言い含めるているのだろう。確かにその通りだ、よく見ている。そして、そのせいで何度も危ない橋を渡る羽目になっているがやめられない。今回もその一例だ。  ベルト・エディーンへ戻ったファンタマは早速行動を開始した。物思いにふけるようなゆったりとした足取りで、廊下を歩きつつ目標の人物を探す。まずは一階からで喫茶室から食堂前を過ぎ、二階へと上がる。不審者に見えないでもないが、そんな時にはこの魔導着が役に立つ。神妙な顔で、何か目に見えぬ存在を感じ取った芝居を大仰に演じれば呆れるか引き付けられるかのどちらかだろう。アリスとしての素性は知れ渡り、もう害意があるとはみなされにくい。  幸いそんな小芝居を長く演じることなく、探し人である客室係のマリーが前方からやって来た。 「こんにちは、マリーさん」ファンタマは鷹揚に頭を下げた。 「こんにちは、アリスさん」マリーも挨拶を返す。 「つかぬ事をお伺いしますが、このお宿でお亡くなった方はおられるのでしょうか」ファンタマは声を潜め、顔をマリーに近づけ訊ねた。 「あぁ……」マリーは一瞬息を飲み周囲を窺う。「まぁ、多くのお客様が終始お越しになる場所ですので、中には突然体調を崩されたり、何らかの諍いに巻き込まれて亡くなられる方は、稀におられます」 「最近はどうでしょうか、たとえば、お部屋の窓から転落事故などで亡くなった方はおられますか?」  マリーはファンタマの言葉に頬を引きつらせた。 「おられるんですね?」 「えぇ……」  また、周囲の様子を窺う。幸い近くを行き交う者はいない。 「最近となる、三階に泊まってらしたお客さんですね。あの方の遺体を見つけたのはお掃除に入ったサクラです。お掃除や寝具の取り換えのためお部屋に入ったところ、窓は開いたままになっていて、まぁここまでは珍しくもないんですが、彼女が何気なく開いた窓から下を見るとお客さんが窓の下に転がっていたわけです。当然大さわぎになりました」  タイタ―の話は嘘ではないようだ。 「やはり、そうですか。まだ、死んだことに気づいておられないのか、ここでのんびりと過ごしておられるようですね。他にもそんな方が何人かおられるようです」 「やっぱりですか……」マリーにも心当たりがあるようだ。 「歴史のある建物です。無理もありません」ファンタマはアリスの顔で口角を上げた。 「はい」 「他に突然姿を消した人はいますか」 「たまにお代を払わず、こっそりと逃げ出す人はいます。怪しげな人は注意するようにはしているのですが……」  これには面持ちに憤懣の色がよぎる。  これについてはファンタマも人の事は言えない。宿を出る際に支払うつもりはあるのだが、その余裕もないほど急を要する場合がある。 「最近おかしな人が増えているような気がします。飛び降りた人とその前後に荷物を置いたままの行方が知れない人と短い間に三人も……」 「なるほど……きっかけにあるような出来事は思い当たりますか」 「きっかけ、ですか……」 「村に大事が起こり、それが異変の引き金となる……こともあります」 「村の大事と言えば、クローバーさん家の火事ですか。あれ以来、何かがおかしくなったような気がするんですよね。あの夜の記憶は誰もはっきりしないようですし」 「火事が起こった夜の記憶ですか?」 「えぇ、気がついたら服も着替えずに変なところで眠っていた。おまけに夜に済ませたはずの仕事が朝起きるとできていない。調子が狂った人が多くて、ここでも夜に済ませておくパンやお料理の仕込みがまったくできてなくて厨房が朝から大混乱になってました。あんなことやらかす人達じゃないはずなのに……」お手上げとばかりに手を振り回す。「何の断りもなく時間を巻き戻された気分だとぼやいてました」  記憶の混乱はタイターだけではなかったようだ。誰もがそれを感じている。 「おもしろい言い回しですね」とファンタマ。 「わたしもそう言ったら……笑い事じゃないんだと怒られました」   「妙な展開になってきたな……」  そうは言っても、ある程度は想定内だ。先の三人が無事にこなせるような依頼なら自分が出る幕などない。モルトが何を隠していようと危険が伴う依頼であるのは織り込み済みだ。  そろそろ、直に探りを入れる頃合いかもしれない。火事についての妙な噂をいくつか耳にしたが、これについての関連性は判断がつかない。それより先に訪れた三人が陥った状況を考慮に入れるべきだ。どんな理由があるのか想像もつかないが、クローバー家は当主となったロザリーンの身辺を探る者の排除に躊躇うことはないと見ていいだろう。  そうでなければロザリーンの身辺に探りを入れた者たち三人の身の上に揃いもそろって異変が生じるなど偶然で済むわけもない。村人たちもおかしいとは感じてはいるようだが、それをロザリーンに関連付けている者は誰一人といしてない。亡くなったゴダード、その妻ロザリーンはよほど好人物だったのだろう。それとも他に理由があるのか。  日が落ちて、眼前の森は十分な闇に満たされた。ファンタマはランプに灯を入れず、部屋から外を眺めていた。特徴的だったクローバー家の赤い屋根は闇に沈み周囲の森と同化し、ここからではその形が掴みにくくなっている。だが、窓から漏れる燈火がよい目印となっている。クローバー家の屋敷はこの村ではベルト・エディーンについでの規模を持っている。玄関口は人目に付きやすい通りに面した位置にあるが、その敷地は塀や生垣に囲まれれているわけではないため屋敷への接近は容易だ。森を隔てた位置にある工房で暮らすタイターもあの火事の折には森を突っ切って屋敷の様子を見に行ったという。  こちらからの侵入についても前に見える森を抜けて屋敷の敷地内に入るのがよいだろう。廊下ではなく窓から姿を消して出れば、勘の良い客や従業員に気づかれることもない。それから目の前に森をまっすぐ突っ切り、屋敷の外壁に取りつき人気のない部屋の窓などの侵入口を探しそこから忍び込むのが妥当だろう。窓の鍵については障害のうちに入らない。むしろ把握できていない邸内の間取りの方が面倒の種となるがやむを得ない。  ファンタマはアラサラウスを周囲の背景に溶け込ませ姿を消してから、アリスの体格を細身に調整し窓の外へと出た。そこから見下ろすと村一番の高所に建てられた宮殿とあって地上まではかなりの高さがある。ここから落ちたとなれば確かにひとたまりもないだろう。誤ってか、それとも突き落とされたか。どちらにしても、誰も遺体を発見するまでは彼の死に気がつかなかったのは間違いはない。  窓の縁にアラサラウスの袖を絡め命綱にして地上へと降下する。短い下草に覆われた地上に降り立ち、周囲を見渡した。夜とあって辺りに人気は感じられない。上から確認した方向に淡く黄色い光が見て取れた。小さく蛍のように見えるがそれに動きはない。あれが屋敷から漏れ出した燈火と見てよさそうだ。  目印が定まりファンタマは木立の向こう側に見える光に向けて歩き出した。部屋にランプを灯さず過ごしていたおかげで少しは夜目が効く。姿を消してもランタンが必要なら元も子もない。頭上から差し込む月明りもよい手助けとなっている。  さほどかからず、ファンタマは森の木立を抜け出しクローバー家の敷地内に入ることができた。こちら側は屋敷の裏手に当たるらしい。屋敷を周回する狭い通路が敷かれている。明かりが漏れ出している部屋は家人の書斎か寝室と見てよいだろう。まずはこの通路に沿って屋敷を周囲の観察にあたろう。そして、めぼしい侵入口を探すことにしよう。  侵入の後はロザリーンや他の家人、使用人などの居室などの間取りなどを確認する必要がある。だが、ここはいつものような裕福な商家ではない可能性も考慮しなければならない。何せこの家に探りを入れた三人の身に異変が起きているのだ。中に入れば一挙手一投足に注意する必要がある。  屋敷の外側を一周して侵入に使えそうな窓に狙いを定めた。物置として使われているようだが外に面した窓もある。少し位置は高いがそれは障害にはならない。この大きさがあれば楽にすり抜けることもできる。  ファンタマはアラサラウスの袖口を伸ばし窓の桟の隙間にねじ込んだ。少し窮屈だったがガラスなどを割って痕跡は残したくない。さらに伸ばし細い袖口が窓の掛け金に触れる手前で針のように鋭い気配を感じ、反射的の袖口を窓から引き抜いた。乱暴な動きに窓枠が軋み音を立てる。 「……っ」口をつき漏れでそうになる悪態を喉元で飲み込む。  どこから飛び込んできた気配なのか。 「上か?」  家人か使用人に気づかれたか。姿は隠している、それでもなお居場所を捉えられたとすれば。 「厄介だな」  気配を感じた上方に目をやると二階の壁に何かが貼りついているのが目に入った。あれは明らかに人ではない。  夜間のために赤黒く見える屋敷の外壁に漆黒の靄を放つ何かが取りつき黄色く輝く瞳でファンタマを見据えている。何とも面妖な光景だ。姿を消して行動しているファンタマの存在をそれは捕らえている。体格は子供ほどで細い四肢をしており猿のように見える。壁に頭部を下にして貼りつくさまは蜘蛛のようでもある。 「……」口をつく悪態を呑み下す。  ファンタマは瞬時に踵を返し、屋敷から離れ木立へと飛び込んだ。踏みつけられた下草が音を立てるがかまってはいられない。ファンタマはベルト・エディーンに向かって駆け出した。蜘蛛猿の気配に動きはなく距離は難なく引き離すことはできた。ベルト・エディーンの外壁まで到達し周囲の気配を探ってみても蜘蛛猿の気配は感じ取れない。物騒ではあるが、侵入者を阻むだけの番犬だったのか。それとも出たの幻影だった。ともかく、あの屋敷への侵入は容易ではなさそうだ。
/307ページ

最初のコメントを投稿しよう!

67人が本棚に入れています
本棚に追加