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◆第一章◆ 一話 沖の遊女・お千代
―――ここは闇夜の船の中。
私はお千代、旦那さんに抱かれる遊女。
「千代坊、もっと腰をふらんか!」
「はっ、はい。旦那さん」
波にゆれる船の中で、私は旦那さんの上にまたがる遊女……。
初老の男が果てて、男女の交わりが終わるとお千代を抱き寄せました。
「ふ~、千代坊もだいぶ上手くなってきたな」
「はぁはぁ……。あ、ありがとうございます。旦那さん」
「つぎ来たときは、もちっと楽しませろよ」
「うう、がんばりますぅ~」
「じゃあ、もう寝るか」
「おやすみなさい。旦那さん……」
船の床でお千代は旦那さんとふたり寄り添って寝ます。
私は、一夜妻。
そして私たちのような者を、人は『沖の遊女』と呼ぶ―――。
「――お千代、起きな」
(……んっ、まだ眠いよぉ)
「もう帰るよ、弁蔵も迎えに来てるんだからね!」
(どこからか、松野姐さんの声が聞こえてくる…)
「いいかげんに起きな!」
≪パシンッ≫
「いったーーーーーっ!」
お千代は頬を叩かれた勢いで目を覚ましました。
目の前の松野があきれた声で、
「まったくアンタときたら、十六になってもまだ寝坊助なんだから……」
とため息をつきます。
「また、やってしまいました…」
「ほらちゃっちゃと起きな、もう帰るよ。旦那さんたちはとっくに起きてるってのに、…まったく」
そう言われてお千代は慌ただしく身支度をはじめました。
季節はもう春だというのに内海の風はまだ冷たい。
この時期に水主〔船乗り〕さんたちが遊女を買うのは、暖房代わりなんだとお千代は思う…。
「ふうう。松野姐さん、今日は一段と寒いですねぇ」
「そんなのんきなこと言ってないで。お千代、さっさと舟に乗り込みな」
それから松野に手を引かれたお千代は迎えの舟に乗り移ると、昨晩の初老の男が別れのあいさつをしに来てくれました。
「千代坊!つぎは楽しませるだけじゃなくて、朝はわしを起こしてくれよ」
「はい、旦那さん。また私に会いに来てくださいませ」
「おうおう。千代坊、達者でな!」
「旦那さんもお気を付けてぇ!」
お千代が一夜の旦那へ手をふっているよこで、舟押しの弁蔵が弁才船〔大型の帆船〕と舟〔手漕き〕とをつなぐ渡し板を船の方へ押し上げています。
ほかの遊女たちも、おのおの旦那との別れを告げていました。
「旦那さ~ん。またお越しくださいな~」
「旦那ァ、つぎ来たときは手料理食わせてやっからな~」
「旦那さま~。お元気でぇ」
その間に弁蔵が舟を押し出して、島の港へ向けて櫓を漕漕ぎはじめます。
水主の旦那たちも別れの言葉を叫んでましたが、遊女たちの乗る舟はどんどん沖から離れて、波の音にかき消されてしまいました――。
水主の旦那たちと哀愁の別れを惜しんだお千代たちが舟で港に着くと、近くのおなごや〔置屋〕へと帰ります。
下級遊女の小さな共同生活の場。
同じおなごやに住む遊女が足抜けした場合、連帯責任をとらされるという関係。
お互い相手を監視し、ときには互いに助け合う仲間でもあります。
(今ではみんなすっかり気の置けない友達?ってかんじ)
おなごやに帰って来たら、お化粧をおとして、商売用の着物や小物の手入れをします。
それから普段着に着替えてみんなで食事を囲むのでした。
朝餉は遊女たちが所属する遊女茶屋【萩屋】が提携している船宿【つた屋】さんが、遊女が沖の舟から帰きたあとにおなごやまで持って来てくれます。
船宿の主人は朝も早くから海を眺めるのが仕事なのだ。
(前の夜につた屋さんのところで宴会があると、おいしい残り物をいただけるのでうれしい)
お千代はもとより姐さんたちも、仕事終わりの食事の時間はひと時の心の安らぎでした。
「松野姐さん、朝ご飯食べたら何するの?」
「あたしゃ疲れたからもう寝るよ。旦那さんが寝かせてくれなかったんだよぉ…」
「高尾姐さんと志乃姐さんたちは?」
「ウチはつた屋の手伝いをするよ。料理の腕をあげて旦那の胃をガッチリつかむんだからね!」
「わたしもひと眠りして、起きてから縫い物をしますわ。旦那さんに色々してあげたいですもの」
「……そうなんだ。私はちょっと港を散歩してくるね」
「ふぁ…、気をつけるんだよ」
(みんな『旦那さんのために何かしたい』って気持ちになれるのが、なんだか羨ましいな…)
松野はこの四人のなかでも一番の古参で、新人のめんどうをよくみるお母さん気質です。
細身のからだときりっとした色っぽい目つきで男たちを魅了しています。
高尾はちょっと太めではすっ ぱな物言いをしますが、気安い人柄で男たちにも人気です。
志乃は小柄な体型に品のある所作としゃべりで男たちの信奉を集めています。
右の涙ぼくろが特徴です。
お千代は最年少で、まだ幼い顔の残る顔立ちをしています。
背は志乃より高く、体格は中肉中背といったところです。
沖の遊女の仕事は、夕方に帆のない手押し舟で沖の船まで向かい、そのまま沖の船で朝まで過ごします。
その夜に買われた男性客のみ関係をもちました。
仕事のお給料は、一夜の旦那からいただいたお金から楼主と自分とで半分にするのが決まりです。
借金の利子や部屋代、その他もろもろで半分以上はピンハネされますが……。
そして仕事が終われば夕方までは自由にすごせます。
寝るもよし、縫い物をするもよし、家事するもよし、気楽なものです。
小さな島の港町だから、外へ出歩くのもわりと自由でした。
(私はこの島へ来て、三か月くらいは経ったかな?今でも港町がとても新鮮に見えるんだよね。生まれが山里だから、大きくて青い海が大好き)
ご飯をいただいたあと、みんなで片付けをして、お千代はおなごやから外へとでかけます。
ここへ来たばかりのころは遊女の仕事に慣れなくて、おなごやに帰って食事を食べ終わると同時に力尽きていました。
そのため仕事から帰って、ゆっくりと自分の時間を持てるようになったのはつい最近のことです。
「んー。今日も天気がよくて、とっても気持ちいいー」
伸びをして、お千代は晴れやかな気持ちで港町を歩きだしました―――。
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