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十話 夢に鬼が現れて
「お前、このままだと借金がなくならないどころか増える一方だぞ」
「うっ…」
「俺ら商人もお前ら遊女も客商売だから、人を見ることに関しては最重要なんだよ。そいつの行動、言葉から何を考えているか、どんな人物なのかを想像する。ある程度の予測ができればこちらも動きやすいだろ」
「そ、そんな難しいことできませんよ」
「できない、じゃなくてやらなきゃダメなんだ。まわりの遊女の目の動きをよく見てみろ」
寅吉に言われてお千代が姐遊女たちのようすを見ます。
旦那が持つ盃や顔色、足の動きなどをよく見ており、基本的には旦那の顔を見ていますが、さっと目を別の方向へむけ、何もなければもどす、といった動きをしていました。
「私、そんなこと誰からも教わってない……」
ただ船にいって客と寝るだけ。
相手を不愉快にさせないようにすればよい。
あと旦那の要望には応えること。
楼主からはそれだけしか言われなかったし、姐遊女たちからもそうだ。
「自分で気づいて自分で学べってことだよ。今は若い女と寝るのが好きなジジイどもが買ってくれるが、お前より下の妹分が来てみろ。誰がお前を買ってくれる?」
「だからウリになるようなものが必要…、ということですか」
「客を手玉に取って、なおかつウリになるものがあれば、年季明けには遊女から開放されるぞ。ずるがしこい遊女ほど素晴らしいものはない。…俺が見てきた中では、な……」
≪ドスッ≫
寅吉は最後に独り言のようにつぶやくと、音をたてて後ろへ倒れてしまいました。
そして目をつぶり眠ってしまったようです。
周りも寅吉が倒れた音を聞いて振り向きましたが、また何事もなかったかのようにふたりの世界へ戻っていきました。
与作さんだけが立ちあがると、寝てしまった寅吉のところへやってきて、『よっこいしょ』とかけ声をだして彼を抱きかかえます。
「高尾、悪いな。このガキ寝かせてくるから少し待ってな」
「あいよ、お千代もついていきな。今日はそいつが旦那だからしっかり面倒みなよ」
「うええ。あ、はい…」
お千代は気が動転していましたが、すこし落ち着くと『これも仕事だ』と両手をぐっと握りしめました。
与作は半分引きずるように寅吉を抱えて、暗い船の奥へと歩いていきます。
そしてお千代はその後ろを見失わないようについていきます。
「嬢ちゃん、今日は寅吉の面倒見させて悪かったな。弱いくせに酒を飲みながらご高説垂れるのが好きなんだよ。顔色は変わんねぇが、酔いが回るとすーぐ寝ちまうんだ」
「いえいえ、とても勉強になりました」
「…そうか。こいつも寝ちまったし、嬢ちゃんも気にせず寝てかまわないぞ」
「そうですね。分かりました」
寅吉が寝泊まりしてるであろう場所まで来ると、与作はごろりと寅吉を横たわらせて、高尾の待つ宴会の席場へと帰って行きました。
お千代は寅吉の様子を屈んでみていましたが、スースーと寝息をたてているだけです。
(お酒に酔って苦しそうってわけじゃないし、問題なさそうだね)
寅吉に夜着(着物の形をした掛け布団)をかけて、お千代は着ていた着物を脱いで長襦袢姿になりました。
そして着物はむしろを被った荷の上に置いて、お千代は寅吉の横で寝ることにしました。
(起きたらまた何かを言われそうだけど、私もなんだか疲れたから寝よう。お小言は起きてからでもいいや)
日ごろあまり考えることのなかったお千代は、頭が疲れ切っているようです。
(…遊女のことが嫌いなようで、でもよく見てるのは人のなんちゃらだけじゃないと思うんだけど………)
などとさっきのことを思い返しながら、お千代の意識は深い闇の中へと消えていきました―――。
その日はこの島へやって来てから、久しぶりに鬼たちが夢にあらわれました。
鬼というのは四年ほど前、おばあちゃんが亡くなって女手がないと不便と感じたお父さんが連れてきた再婚相手とその連れ子のことです。
美しい継母と義妹ができて、母親の記憶がなかった私はとても喜びました。
しかし、その美しい親子はだんだんと本性を見せ始め、父をそそのかしては高価な物をねだり、買わせたのです。
父は美しくきれいな嫁と娘のために無理を押しながらも働いて体を壊し、三年後には病気であっけなく死んでしまいました。
強欲な親子のせいで父が亡くなっても、村の人たちは彼女たちを慰めました。
その美しい親子はとても外面がよく、再婚して夫の連れ子である私にいじめられても健気に頑張るわたくし…、という、いかにも事実無根な話をでっちあげて村の人たちに取り入っていたからです。
美しい義妹も、継母同様に私を悪者に仕立て上げ、まわりの若者たちを囲い込んでいきました。
それに気づいたのが父が死んだ日。
父が死んだのも私のせいだと村の人たちから責められました。
あの親子がやってくる前までは村の人たちもみんな仲が良く、平和に暮らしていたのに何故……?
私のせいじゃないと訴え、美しい親子のやりたい放題な日常を話しても、誰ひとりとして信じてはくれませんでした。
逆に私がみんなにそういうと、継母は『よよよっ』と悲しんでいるフリをして庄屋さんに寄り掛かり、『わたくしがいたらぬばかりに…』と言います。
すると男たちは『奥さんが悪いんじゃねぇ。育ててもらった恩も忘れるひねくれ娘が悪いんだ!』と口々に言いました。
それからは誰一人として味方のない私と美しい鬼たちとの生活。
―――本当の地獄がそこから始まりました。
思い出したくない、忘れてしまいたい悪夢は、いまだに私を心を苛んでくるのです。
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