十一話 明け方のふたり

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十一話 明け方のふたり

「……おい、起きろ」 (…ん、この声は―――) お千代はガバッと起き上がると、周囲は明り取りからほのかな月明りが差し込んでいて、まだ日の光が昇っていませんでした。 「……ここは」 そう言いかけたお千代のよこで、寅吉がびっくりした顔をしています。 「や、やっと起きたか…。というか、なんで俺のとなりで寝てるんだ!?――はっ、まさか俺が寝てたのをいいことに……」 寅吉も起きぬけのようで、宴会のときのような理知的な雰囲気はどこにもありませんでした。 (ああ、そうだ。この人が酔って寝ちゃったから、私もとなりで寝てたんだ) そして悪夢をみたせいか、体がすごく重い気がする。 「旦那さんがお酒に酔って早々に寝てしまったので何もしてませんよ。表司さんもここで寝てもいいと言ってましたし」 ふあふあとあくびをしながらお千代が気だるそうにそういうと、 「…まったく、油断も隙もない」 などといい、寅吉は勝手に何か変なように解釈したようで、ため息をつくとお千代に背負向けてよこになります。 (なんなの、私のせいじゃないのに…) 鬼たちを思い出したことと寅吉の発言にお千代はすこし腹を立てましたが、まだ仕事中なのだと彼に対する不愉快さはのどの奥に呑み込んで、同じく背を向けて再び寝ることにしました。 もう姐遊女たちも寝てしまったであろう夜明け前の静けさ。 二度寝できるほど豪胆ではないふたりは、ひとつの夜着の中でもぞもぞとしていました。 (こういうときって船だと逃げ場がなくて嫌だなぁ。それに外はまだ寒いから床から出たくないし……) 何とも言えない雰囲気の中、お千代が足をバタバタさせていると寅吉がボソッと背中越しに声をかけてきました。 「…お前、うなされてたみたいだけど、悪い夢でもみてたのか」 口の悪かった寅吉が気にかけてくれているようなので、お千代はすこし考えたあと言葉を口にしました。 「……うん。鬼がでてくる夢をみてたの」 「その鬼は何をしたんだ」 「私のお父さんや友達や村の人たちを食べつくしていった…」 「お前はどうしたんだ」 「…逃げた」 「そうか……」 ふたりの会話がそこで止まり、再び波の音だけが聞こえる静けさが訪れる。 ちょっと気まずい空気になってきたので、今度はお千代の方から寅吉に話しかけました。 「旦那さんはどうして私を、遊女を嫌うのですか?」 それは宴会の席で会った時から心に引っかかっていた疑問を直球で投げたようなものでした。 「―――――」 その所為(せい)か、寅吉は何も言わない。 (…ああ。私、やっちゃった!?) お千代は夜着を握りしめて、ぶるぶる体を震わせました。 それから長い沈黙のあと、寅吉は何かを思い出すようにぽつりぽつりと話し出しました。 「……父親が有り金もって遊女と逃げたから、…かもな」 その一言だけでお千代は理解してしまったのだ。 (そ、そ、そ、それは、子供としては遊女が嫌いになるよねー) 同じ遊女として、乾いた笑いが出てしまいそうになる。 「…お母さんはどうされたんですか」 「借金抱えて遊女になって、それから病気になって死んだ」 私の過去以上に重い……。 鬼の夢にうなされてたときは『私だけ、どうしてこんなにも不幸なんだ』と思ったが、それが消し飛ぶくらいにこの人の歩んできた人生は重すぎる。 「親の借金は子供へ移るけど、旦那さんも多額の借金を背負ってるの?」 「…ああ、母親の借金は元はと言えば父親の借金だったから、運よく父親を見つけることができて今もうはない。本当にあのときは運がよかった―――」 そういうと寅吉は重たい雰囲気を一掃するように、くくくくくっと思い出し笑いをしているようだった。 (よかった、よかったよー。ちゃんとお父さんが借金を支払ってくれたんだね。女の人と逃げちゃったけど、ちゃんと子供のことを思っててくれてたんだ) 重すぎる話で心が痛んだけど、最後はとてもいいお話で終わってお千代はホッとしました。 「お父さんは生きていてくれて、よかったですね」 「…今はもうどこにいるか知らないけどな」 「きっとまた、どこかで会えますよ」 「かもな……」 さっきとはうって変わって、寅吉は感情のない返事をする。 ですが、お千代はまったくそのことを気にせず、うんうんと(うなず)きながらいい方向に考えを巡らせていました。 (お父さんと逃げた女が遊女だったのと、お母さんが借金で仕方なく遊女になってしまったので、この人は遊女にいい印象をもってないんだ。それだけ心に傷を負ってるけど、借金を返してくれるほどのお父さんがまだ生きてるなら幸せなことだよね) ―――なんだかうらやましいなぁ。 お千代にはもう肉親はひとりもいない。 味方をしてくれる人もいない。 そう思うとお千代の目から涙があふれてきました。 (そういえば、自分の昔のことを人に話すのは初めてだった…) となりに旦那さんがいても、なんだか寒いと感じるときがある。 私の心にぽっかりと空いた穴から冷たい風が吹いてるみたいに――。 こういうとき、海の底へと体が沈んでいくような感覚にとらわれる。 船の中にいるのに、意識が暗い海へと(いざな)われるような…、今見えている視界から別のどこかへいってしまうような曖昧な感じ。 (私、やっぱり――) その流れに身を任せようとした瞬間、お千代の体が仰向けに(かたむ)いた。 「…急に何にも言わなくなったからおかしいと思ったけど、――なんでお前が泣いてるんだよ」 目の前で寅吉が神妙な面持ちでそういいました。 「……旦那さんのことが、うらやましく思えて」 「借金がないことがか?」 「ううん、自由だから」 「船の仕事はけっこうキツイぞ」 「でも自分の好きなように生きてるでしょ?」 「…それは、そうだな。でも遊女が不自由なのは仕方のないだろう」 「――遊女は自分から、自分の意思で決めたから後悔はないよ」 お千代がにこりと微笑んでそういうと、寅吉がすこし考え込んで、やがて言葉を紡ぎはじめました。 「……お前はまだ、お前のいう鬼の呪縛(じゅばく)から解き放たれてはいないんだよ」 「鬼の呪縛…、そうだね。私は心からあの人たちから逃げることができないんだ……」 そういうと同時にお千代はしくしくと泣きだしてしまう。 見下ろすように座っていた寅吉は、思わずお千代の体に触れようとしたが、それをぐっとこらえていいました。 「その鬼を退治するのも、食われるのも、すべてお前次第だ。自由をつかみたいなら強くなれ。泣いていても何も変わらない。ましてやほかの奴らどうこうできる問題でもない。自分が、自分自身が変わるしかないんだ」 ―――自分が変わるしかない。 お千代は涙を流しながらも寅吉から教えられた、自分自身と向き合う気持ちを持ちたいと心の底から強く願いました。
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