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十三話 港での再会
港からおなごやに帰ってつた屋さんのご飯をいただいたあと、松野は色々な心労がたたって寝込んでしまい、高尾と志乃もそれぞれ昨晩の宴会疲れかふたりとも松野のとなりで眠ってしまいます。
お千代は宴会と悪夢の疲れはすでに回復しているようで、日課のような朝の散歩にでることにしました。
「今日は雲が多いけど、清々しい朝だね」
すでに港町では多く人たちが朝も早くから活動しています。
(今日はなんだかお腹が空いてて、さっきご飯食べたばかりだけど福屋さんの餅菓子でも買ってこようかな)
――裏通りを歩きながら人々の暮らしを見ているのが幸せ。
お千代はそう思っているだけで気持ちが安らぎ、ふふふっと軽く笑うのでした。
家々ではこれから朝餉というお宅も多く、お米を|炊いてるのであろう香りと湯気が立ちのぼっていました。
そして奥さんや娘さん、それにお婆さんがせわしく動いています。
通りの向こうからは捌いたあとの魚を細かい目の網をかけたザルに入れて、海の方へと運んでいく男の子たちがいました。
(干し魚でも作るのかな。でもそんな風に考えると、よけいにお腹が空いちゃうよ…)
お千代は小腹が減ったのを我慢しながら、港町のやや中央よりに店をかまえる福屋までやってきました。
「おじちゃん、あんこ餅三つくださいな」
「お、今日も元気じゃのうべっぴんさん。あんこ餅を三つだったな、すぐに作るけぇ待っとれ」
「はーい」
福屋の亭主は米粉で作ったキメが細かく、そして柔らかい餅生地を五センチくらいの三角形に切ります。
それを三つ作り、つぎに朝一に炊いたあんこを餅の表面にたんまりとのせていきました。
出来たものを竹の皮で包むと、手際よくお千代に手渡します。
「へい、お待ちどうさま」
「いつもありがとう、おじちゃん」
「べっぴんさん、また来いよ」
亭主はお代をもらうと手を振りお千代を見送りました。
(海を眺めながらお菓子をいただきましょうか)
お千代は餅の包みを手にしてホクホク顔のまま今度は海の方角へと歩きだします。
民家がひしめき合う横路を抜けると、目の前に青い海が広がります。
そして波しぶきがあがり、潮風が辺り一面を覆うのです。
船着場に着くと、船から荷物を降ろしている浜仲仕さんたちの邪魔にならないように、船も人もいない雁木〔海から陸に向けて階段のように石を積んだ構造物〕に腰を下ろしました。
さっそくお千代は福屋で買った餅菓子をひざに置いてから包みを開くと、餅をひとつ摘まんで大きく口を開けぱくりとほおばります。
「んーっ♡やっぱり福屋さんのあんこ餅は美味しい♡餅の絶妙な食感とあんこの甘みが口の中で広がるの。これは以上の餅菓子はないわ」
「そんなに美味いのか?」
「当ったり前じゃない!玉洗いの福屋の餅菓子は、色々な港で食べ歩いてる水主たちも認めた一品なのよ!こんな素晴らしい食べ物を知らないなんて人生損してるわ!!」
ムキになったお千代が声のする方へ振り向くと、ニヤッと笑った寅吉が立っていました。
「――ほう。それは知らなかったな、ぜひとも相伴に預からせてもらおうか」
「…は?寅吉…さん??」
あっけにとられているお千代を無視し、寅吉は彼女のひざに置かれた竹の皮の上にある餅菓子をひょいっと摘まんで一口で食べてきります。
そしてもぐもぐと咀嚼し、ごくりと飲みこんだ。
「…ふむ。さすがに内海は塩田が多く塩の値が安価だから、餡に入れる塩の量が他より多いな。それがこの美味さの秘訣なのかもしれん―――」
「ちょおおおおおっ!私の大切なあんこ餅を勝手に食べた!食べた!なんで勝手に食べるのよー!!」
「知らないと人生損すると言ったじゃないか、ひとつぐらい別にかまわんだろ?」
「かまう!すっごいかまう!食べ物の恨みは怖いんだからね!」
「わかった、わかった、…その福屋?って店を教えろよ。倍にして返すから」
「ホント!?じゃあ最後のひとつを食べてからね」
「あー、はいはい…」
残りのひとつをお千代が食べる終わると、手と口をサッと袖でぬぐい寅吉とふたりで来た道を歩きだしました。
家と家の間の横路は狭く入り組んでいて迷路のようなものなので、案内役のお千代が前に、その後ろを寅吉がついていきます。
「そういえば寅吉さん、船は出航なかったの?」
「肝心の船頭がまだ戻って来ないし、船の仲間も二日酔いでふせっているから今日の出航はないと表司から言われてな、勉強がてらに船番所〔港を管理している役所〕で許可を貰ってひとりで港に来ていた。そういうお前は遊女なのに町でフラフラしててもいいのか?」
「沖の遊女は夜の仕事さえしていれば、昼間遊んでいても文句は言われないよ。それに港町の中だけなら行動も自由だけどね。あと私はお千代、お前じゃないよ」
「ああ、そうだったな。だがお千代、遊女ってのは大抵の者が敬遠するだろ?出歩くのがつらくないのか?」
「まあ私の里でもそうだったけどね。この港町は違うんだ。みんなよくしてくれるんだよ」
そういってお千代が笑顔で振りかえる。
「―――」
そしてその光景に寅吉は思わず言葉を失った。
「…寅吉さん?」
固まったように動かなくなった寅吉にお千代が声をかける。
その声ではっと意識がもどった彼は、頭をガシガシと掻きながら気恥ずかしそうにこういった。
「……そのな、前に売女とか言って悪かった」
そんな突拍子もないセリフにお千代はぽかーんとしてしまう。
「――へ?」
「いや、もういい!さっさと行くぞ」
寅吉はカーッと血が頭に上るような感覚におそわれ、お千代の手をにぎってスタスタと歩きだした。
ワケのわからないお千代は手を引かれながら、『どうしてこうなった』という言葉が頭の中を巡っていました。
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