67人が本棚に入れています
本棚に追加
八話 遊女たちの語らい
夕暮れまぢかの桟橋で、今日も沖の遊女たちがワラワラと集まり始めていました。
つた屋からの仕出しの弁当箱を弁蔵とつた屋の奉公人が舟へと運んでいるようすを眺めながら、松野がなんだかうれしそうにしています。
「今日は久しぶりに”いの一番”だねぇ。あんたら弁蔵の用事がすんだら、すぐに沖に出るよ。準備はいいかい?」
「ばっちりだよ。うちは旦那への贈り物も持ってきたし、楽しみだなぁ~」
「直江屋さんはいつも来てくださいますよね。旦那さまったら、わたしに踏まれるのがお好きらしくって、それだけで今夜も終わりそうだわ。はぁ……」
水面に映る自分の姿をみながら志乃がそうつぶやくと、高尾がくははっと笑いながら言いました。
「相変わらず志乃の旦那はヘンなのが多いよな」
「あら、高尾ほどじゃありませんわ」
「いいや、うちよりアンタの方がおかしい旦那が多い」
「わたしが旦那さまに愛されてるからって僻まないでよ」
「…だれも僻まないから安心しろ」
などと相変わらずの会話をふたりはしています。
松野はそんなふたりを放っておいて、お千代の背中をぽんっと叩きました。
「今日は初めての客がいるそうだから、お千代、あんたの旦那にするよ。しっかり旦那さんの心をつかんで、馴染みになってもらわなきゃね。がんばんなよ!」
「はい、松野姐さん」
「それと沖の船での宴会は酒も入るから気を付けな。商売道具を汚されたり壊されたりしても旦那さんから弁償してもらえないからねぇ……」
はぁっと息をもらす松野をみて、過去に色々とあったのかな?と推測してみる。
(気を付けないと、また銀十二匁の反物買わないといけなくなっちゃう…)
木綿の上等な着物とはいえ、売りの稼ぎは諸経費を差っ引いても毎日百五十文前後。
四千文で一両、そして銀五十~六十匁でも一両な時代、ポンと銀十二匁をだせる金額ではありません。
「お金のために、気を付けます」
金勘定が得意ではないお千代でも、購入した反物の値段の価値の重さくらいはわかる。
目をギラギラさせているお千代に、松野は肩をもんで固くなっている体をほぐそうとします。
「だからといって、旦那さんの前でそんな顔はよしなよ。遊女はいつでも笑顔で接客だよ」
「はあい、笑顔笑顔ですよね」
そう言ってお千代が顔をこわばらせていると、舟の方から弁蔵の声が聞こえてきました。
「出発するぞ、舟に乗れ。今日は吉屋も三人乗せるからな、早くしろ」
そして萩屋の遊女を乗せたあと、吉屋の遊女と舟押しが乗船し、小舟は大所帯で目的の船へと向かいだしました。
舟の中には遊女が六人。
さらに仕出しの大きな弁当箱と酒で、いつも以上に座る空間が狭くなっている。
「船頭さんはつた屋でお泊り。ほかの水主さんたちは馴染みの茶屋で夜を明かすそうだよ。沖はひとり新人が入っただけで、前と変わらない旦那さん方が待ってますと聞いたからねぇ」
年長の松野が遊女たちへ情報伝達します。
沖の遊女の数が少ない茶屋同士で同じ船で寝泊まりするのはよくあることなので、萩屋の遊女と吉屋の遊女は比較的に仲が良い。
「長い航海中に旦那さんが亡くなったり、船が嵐にあって海の底へと消えてしまったりと悲しいこともありますので、こうやってまたこの港でお会いできるのは本当にうれしいことですね」
と吉屋の遊女さんが微笑みながら言いますと、高尾姐さんがうんうんと頷きながら、
「まったくだよ。だけどうちの旦那は殺しても死なないヤツだから、あんまり心配はしてないけどね」
がははと大笑いします。
志乃と吉屋のもうひとりの遊女は高尾の言葉にやや呆れながら口を開きました。
「こんな野生の獣のような方でも、好いてらっしゃる奇特な殿方もいらっしゃるから不思議ですわ」
「ええ、本当ですわね。ですが、獣は獣同士でお似合いですわよ」
などとヒソヒソと辛辣な物言いをしています。
「私は今日初めて直江屋さんの船に乗るのですが、みなさん長い付き合いなんですか?」
お千代は周りの遊女たちが興奮気味になっていることに驚いていると、近くにいる松野は扇子で自分の胸元を仰ぎながら答えます。
「萩屋と直江屋は先代からの付き合いらしくてね、六十年は親しくされているらしいよ。遊女も水主も入れ代わり立ち代わりで馴染みが続いているのさ」
「……六十年。私の歳より長いですね」
目を点にしてお千代が両手をみていると、吉野がケタケタ笑い出しました。
「そりゃそうさ。ここの遊女たちの歳より長いよ。それでも陸奥の国の端から和泉の国まで船が行き交うようになってからは百数十年経ったか経たないかで、この港が出来たのはそれより遅くて、まだ八十年くらいしか経ってないんじゃないかねぇ…」
「ええ、ここの港で暮らしてる人たちは、先祖代々この島で暮らしてるんじゃないんですか?」
「ないないない。この港は交易でおまんま食ってるって前に言ったろ?田も畑もない沖の島で人は暮らせないよ」
「…ですよね」
この島には漁師はいても農民はいない。
行き交う船から物を仕入れることができました。
廻船問屋が群れを成しているこの島で、買えない物はあまりないのです。
その昔、幕府が西廻り〔青森から山口を経由して大阪へ向かうルート〕の航海を発展させるために、各藩の港の使用料を無料化させ、船での物流や交易の後押しをしました。
東廻り〔青森から東京への航海ルート〕より格段に安全な航海が出来ることと、一年間、西廻りで立ち寄れる港町との交易だけで巨万の富を得られることから、商人たちはこぞって船を買いつけ人を雇い、海へと旅だったのでした。
(来たばかりのころ、松野姐さんから教えてもらったのをすっかり忘れてた)
山里で生まれ育ってお千代の知識にはないものが、この港町には多い。
遊女は蔑まされる存在だと言われていたが、ここでは大切にされている。
村の大半は農業に従事しているが、ここは商人に雇われている者が多い。
この二点が特に大きな差がありました。
ここへ来てまだ三か月。
慣れないことも多いし、憶えなきゃいけないことも多いなと、お千代は揺れる舟の中でそう思いました。
最初のコメントを投稿しよう!