六十七話 慰霊祭のあとで

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六十七話 慰霊祭のあとで

祭りの余韻も過ぎ去り、盆の入りになると港町では先祖供養のために寺を訪れる人たちが集います。 盆の慰霊祭は、この港町で亡くなった方々のすべてを慰撫することを目的とし、この町で唯一の寺にて毎年行われていました。 また、この地で亡くなった身寄りのない水主や遊女などの無縁仏も含まれています。 夏の季節は三社祭りのあと、盆入りからの三日と年初めの三が日の間は、基本茶屋はお休みになります。 特に先祖供養ということで、あちらのことを自粛する旦那も多く、盆の期間は霊が水辺に集まると言われ海での霊の祟りで水難事故が起こりやすいということから、船出をすることを忌避する船主もいます。 それでも金を積むという奇特な旦那さんはいないワケではないが、遊女たちはつかの間の休みに体を労わり盆の間は大人しく過ごします。 温泉に湯治に行くような遠出は出来ませんが、港町の中では静かに羽を伸ばすことは許されていました。 そのため親しかった遊女への供養のためにと、女たちは綺羅を脱いで寺へと出かける者もたくさんいました。 お千代も例にもれず朝から寺に来て、昨年亡くなった父親や母親に祖母の供養にと、お堂の前で手を合わせていました。 前に手習いのときに弥彦から今日の慰霊祭のことを勧められ、遊女の身になってしまったが、それでも元気で暮らしていると死んだ親たちに伝えたかった。 だから寺で坊主たちの読経を聞きながら手を合わせます。 耳にしたことのないお経でも、自分が口にすることで供養になるそうです。 『供養する心があれば、どこでだって通じ合うものさ』と旦那さんも言ってました。 先の祭りほどではないが、多くの人たちがお寺にお参りに来ています。 にぎやかさはないが、読経が響く中、静かに聴く者や同じお経を口にする者など、供養は人それぞれな雰囲気で執り行われていました。 外で港町の人たちに一人ずつ声を掛けていた寺の住職も、『御仏はどこにいても、常に我々のことを見守っておいでなのですよ』とお千代に優しい声で手を合わせてお辞儀をしてくれました。 彼女は住職に手を合わせてお辞儀をすると、そばで同じく手を合わせてお辞儀をする子坊主に、懐紙に包んだお布施を礼儀よく丁寧に手渡しました。 そしてお互い再び一礼すると、住職はまた他の供養に来た人に声をかけゆきます。 寺の住職は人々の相談事を聞いて適切な意見を述べたり、夫婦のいさかいを話し合いで解決させたりすることを当たり前のように思っていたが、それもまた住職の仕事なのだと今は思う。 お経を唱えて死んだ者の供養をするだけではなく、生きている者へも手を差し伸べ心の救いをくれる。 救われた分の対価を支払うことは当たり前だと思う。 坊主だって霞を食べて生きているわけじゃない。 読経も終盤に差し掛かると、線香の独特な香りに包まれたお堂の中からすすり泣く人たちの声が聞こえてきた。 お千代は周りからの湧きおこる感傷に浸りたくなるような気持ちを抑え、お堂とから少し離れた。 そしてやや高台に建てられた寺の境内から海を見渡す。 (お父さんたちのお墓に参ることは出来ないけど、こうしてほかの寺でも供養が出来るならそれでいいかな…) ――その場所でないと供養が出来ない。 などということはないんだと知っただけでも心地よい。 お千代は家族の供養を心の中で終えるとお寺の階段をくだり、海に近くなる港までやって来ました。 そして軽く伸びをし、また新たな気持ちで人生を歩んでいけそうだと思っていた矢先に太一につかまりました。 「どこに行ってたんだい、捜してたんだよ。なあ、つるの親父さんの一周忌が近いよね?里に帰らなくてもいいのかい」 「私、遊女なんだよ。里に帰れるわけないし、帰りたくもない。――それにお父さんの供養はお寺でしてきたから、…もういいの」 そう簡潔に伝えると、お千代は太一のよこを素知らぬ顔で通りすぎようとしました。 しかし太一は通りすぎようとするお千代の腕をつかみます。 「ボクはね、君の夫になるかも知れないんだよ。あまり無下に扱わないで欲しいなぁ」 ニコニコと笑顔でいう太一の頬に、お千代は容赦なくピシャリと平手打ちをしました。 「何が夫になるだ!そんな日はこないから私に構わないでよ!!」 「――なるかも、だよ。つるは早とちりしすぎだよね…」 少し赤くなった頬を撫でながら、太一はやれやれといった顔をします。 「それならとっとと別の女を嫁にして、里に帰ればいい」 「あー。その台詞、前にも聞いたなぁ。つるも知ってる舟押しの男だっけ?でもね、嫁はまだ決まってないから帰らないよ」 「それじゃあ、その嫁の選択肢に私を入れないで!太一、あんたと私はもう終わった仲なんだよ!!いつまでも私を縛らないでよね!」 「どうしてだい?ボクの嫁になるって――」 「だーかーら、あんたがサヨと夫婦になると言った時点で、私との関係は終わったの!分かる!?あんたが終わらせたんだよっ!!」 「でも、サヨはもういないし…」 「それがどうしたって?私には、あんたの都合なんか知ったこっちゃないわ!」 お千代は太一に口を挟まさせずに、ガガガガガッと強く乱暴に言い放つ。 苛烈に反抗するお千代にひるんだ太一の手から開放された腕を引くと、ザザッと素早く後退して彼から距離をとります。 しばらくお互いに身じろぎせずに見つめ合ったあと、太一はふうっと息を吐きだしました。 「……つるは、変わったね。昔は優しい娘だったのに…」 「優しいって、何?」 「ボクの言うことを、ハイハイって素直に聞いてくれることだよ」 「私はもう、そんな意思のない流されるだけの女には戻らない」 「…ふ~ん。そうなんだ。あーあ、困ったなぁ」 太一は、”もしもという時に使える女がいなくなるのは困る”という顔を露骨にしてしまう。 しかしお千代はそんな彼に恐れずに向き合うのだ。 (太一が何を言ったところで、もう私を(とが)める人はいないんだ。我慢しろという人はいないんだ。――だから引かない) ここは里じゃない。 太一を庇う者もお千代を叱る者もいない。 昔は親に言われたことは正しいことだからと思って、従ってさえいれば楽だった。 自分で考えるより、言われたことに従っていれば、周りの大人たちも何も言わなかった。 自ら反抗し戦っていれば、こんな生き方にはならなかったのかもしれない……。 しかし今さら後悔しても、どうしようもないことだとは分かっている。 人生をやり直すことはできないが、進む道は自分で決めて選ぶことはできる。 (もう、太一に振り回されるだけの生き方はしない) ひとりになかったからこそ自分を見直すことができた。 この島で私は過去の私を捨てるんだ!
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