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六十八話 追い詰められた太一は…
お千代が鋭く強い視線で太一を睨みつける。
誰もいない港の一角で、夏の日差しを受けながらも対峙するふたり。
身動きひとつもしない中で、汗だけがダラダラと流れ落ちていく。
太一は頑ななお千代の態度に飽きたのか、気の抜けたような声を上げた。
「あー。もう止め止め。三郎が蝉がなんだの蛍がなんだの言われて、つるにあまり話しかけないようにしてたけど、ちっとも上手くいかないよな。何だか余計につるに警戒されてるみたいだし…」
うんうんと首をたてに振りながら、太一は腕組して仁王立ちになる。
(蝉だの蛍だのって、――まさか、アノ唄の事?ということは初音さんから聞いたのかな??それだけ足しげく茶屋に通ってるんだね……)
幼なじみの男たちは、本当に女に目がないんだなと思えてきた。
それも器量の良い娘に、だ。
お千代はさらに太一から離れつつ、彼に言葉を投げつける。
「最初っから大嫌いな男が話かけてこなくても、ひとつも気にとめたりしないよ。寧ろうるさくなくなって良かったって思ってたよ」
などと強がってみせた。
本当は気になったし、悲しくもなった。
だけど、そんな思いを何度もくり返していても、私はつらい思いをするだけだ。
ここで断ち切らないと、一歩も前に進めやしないんだ。
「それに太一。あんたずいぶんと小波さんと仲がいいじゃない。金を稼いで彼女を身請けしたら嫁にできるよ」
お千代が当て付けるように毒づくと
「えー。アレは野良仕事はできないんだってさ。それにあの程度じゃ、身請けする金の方が勿体ないよね」
太一はあり得ないと片手でこめかみを抑えながら、大袈裟に頭を横に振る。
「私だって借金があるよ。小波さんでダメなら、私なんてもっと金払ってまで身請けしたくないでしょ?」
なんとか諦めさせるためにも、並びたくもない相手と同格だと話を進めるが、
「つるは自分でボクのために金を稼いでくれるだろ。欲も少ないから金も掛からないしね」
あくまで自分のために尽くすお前、――という思考が成り立ってるらしい……。
そんな自信はどこから湧いて出てくるのだろう………。
「何言ってるの?こっちだって金のない男はお断りだよ!」
「――はぇ??」
お千代がふんぞり返って太一を指さすと、彼は思いもしなかった返答に素っ頓狂な声を漏らした。
そんな間抜けな太一の顔をみながら、お千代はなおも激しく罵倒する。
「私は遊女なんだよ。金のない男を相手にする女じゃないんだよ。ましてや男に金を貢ぐなんて馬鹿げたことはしないんだよ」
「でもボクらは、ほら――」
「この島での、港町でのお千代って女は、沖の遊女なんだよ。あんたが好き勝手できる女じゃないんだ!」
気負ってしまったら負けだ。
情けをかけると増長するだけで恩を返すことをしない男なのだ。
だからここで完膚なきまでに叩きのめさないと、いつまでも私を見下げて好き勝手に言われるだけだ。
すると、さすがの太一も自分の自信にほころびができてきたのか、笑顔に陰りがではじめてきた。
今まで見せた事もない渋面で声に怒気を含ませ
「――へえ。つるも偉くなったもんだね。…でもボクに対して、そんな風に口答えするのはどうかなって思うんだ」
異様な気配が膨らんで爆ぜるかのような錯覚に呑みこまれ
「…あ、あんたはいつも偉そうにしてるじゃない。そっちの方がおかしいんだよ」
気丈に振舞っていたお千代の声がつまる。
太一の表情はニコニコといつもの笑顔に戻っているが、目は笑っていない。
長年の付き合いではあるが、こんな顔の彼は初めてだった…。
そして太一は静かにゆっくりと距離を詰めてくる。
お千代は逸る気持ちを抑えて、彼から目を離さないように慎重に後ずさる。
海と陸との境目ギリギリまで追い詰められたお千代は足をとめた。
後ろは雁木もない水面がちらりと下に見える。
お千代の目の前に立った太一は、とても残念そうな微笑みを浮かべている。
その瞳には殺気をはらんでいた。
彼女の首筋に触れた彼の手が、それを深刻に物語っている。
「つるもサヨみたいに、ボクを裏切る気なの?」
「――うっ、裏切ったのはあんただよ。太一」
噛み合わない会話が飛び交おうとも首に掛けられた手の力が弛むことはなく
「昔みたいにさ、『いっちゃん』って呼んでくれたら許してあげるよ」
「あ…、あん…た……の、ゆる…し、……なんか、…いら……な…いっ――」
感情が抜け落ちた眼差しで、お千代を見下ろす。
そして太一はグッとお千代の首を強く絞めつけたあと、不敵な笑みを浮かべて手を離した。
お千代はその場に力なく崩れ落ちる。
ゼーゼーと荒い呼吸をするお千代を見つめて、太一は何事もなかったようにいつもの笑顔に戻った。
「……つるは面倒くさい女になったね。ボク、そういうの嫌いだなぁ」
太一は呆れたような息を吐くと、お千代に対する興味を失ったかのように、彼女を気遣うこともなく立ち去って行きました。
(――助かった)
お千代は震える自分の体を抱きしめる。
あのまま命を落とす覚悟をしていた。
だが、太一自身は本気でお千代を絞め殺そうという気はなかったらしい。
そして頑なに自分を拒む彼女を煩わしく思ったようだ。
(…これでもう、私の前に現れなければいいのに)
一応の勝負はついたが、アレは気まぐれだ。
いつ何時またちょっかいをかけてくるか分からない。
よろける体を起こして立ちあがろうとしたが、足がガクガクと震えてしまう。
どうやら太一から受けた暴力の恐怖から抜け出せていないようだ。
「ははははは……」
気の抜けた笑い声を漏らす。
あれだけ太一の前で毅然と言い争うことが出来ていたのに、男の力にねじ伏せられたくらいで立つこともできなくなるなんて――――。
お千代の頬を温かいものが伝って零れ落ちる。
恐怖からなのか、惨めさなのか、とめどなく流れて出てくるのだ。
そんなよく分からない感情が込み上げてきた。
自然と口が開き、わあわあとみっともなく声を上げて泣いた。
しばらく泣き続けたあと、誰もいない港から見える海をじっと見つめた。
青い海と空、そして緑が広がる島々。
私はここへ来てよかったと思う。
自由に楽しく生きたい。
そのために戦うんだ。
もう誰かに踏みにじられるだけの人生はごめんだ。
殺されたって、自分の意思を貫くんだ。
私はもう、―――――。
海風がお千代の悲しい思いを吹き飛ばすように、一陣の風が激しく砂を巻き上げ吹き荒ぶのだった。
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