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九話 船のなかでの宴会にて
遊女たちを乗せた舟が直江屋の船の隣につくと、まず遊女たちが船へとあがり、弁蔵と吉屋の舟押しがそのあとから仕出しの弁当箱と酒を運んできました。
待ち構えていた水主たちは、すでに宴の陣取りを決めており、馴染みの遊女たちがそれぞれの旦那のよこへ座ります。
馴染みの旦那がいないお千代は頭をきょろきょろさせていると、水主の中でも身分の高そうな男性が手招きしてきました。
「初顔の嬢ちゃんはこいつのとなりに座りな。寅吉つう堅物だが、勘弁しとくれ」
そういうと弁当箱を運び終えた弁蔵と吉屋の舟押しに、それぞれ金が入ってるであろう小袋を手渡します。
「多少色を付けといたから、帰って一杯やっとくれ」
「どうも」
「今後ともごひいきに」
少ない言葉だけいうと小袋を受け取り、舟押したちは港へ帰って行きました。
「さて、飯と酒と綺麗処も揃ったところで、おれらも宴会を始めようか!」
そのセリフを聞くなり、遊女たちはそれぞれの旦那の盃に酒を注ぎはじめました。
お千代も周りの姐さんたちのマネをしながら、ぶすっとした顔つきの寅吉の盃に酒を注ぎます。
(ふだんはオジサンしか相手にしてこなかったから、同じくらいの歳の男の人ってだけで緊張するよ。…顔はぜんぜん似てないけど、この雰囲気は港で会った幼馴染のさっちゃんに似てるなぁ……)
お千代がじっと寅吉の方をみてると、その気配に気づいたのかギロッと睨んできました。
「俺の顔に何かついてるのか?売女」
「い、いえ」
(この旦那さんいきなり何なの!もしかして遊女が嫌いなの!?)
いきなりの侮辱発言にお千代が戸惑っていると、さきほどの男性が寅吉に注意を促してきた。
「おい、寅吉…。風呂のときもそうだが、お前より年下そうな嬢ちゃんをいじめてやんなよ。この席は船頭さんが身銭切って、ここにいる仲間のために用意してくれたものだぞ。水を差すような馬鹿げたマネだけはするな」
「…わかってますよ。与作さん」
そう言いながらもまったく反省の色もない寅吉に、思いっきり頭をかかえる与作の姿をみて高尾は背中をバシバシ叩きました。
「旦那、旦那。若いってのはそれだけで向こう見ずなもんなんだよ。まあ気にすんなって、無駄に考え込むだけで酒も飯も不味くなっちまうだろ」
「そうだよなぁ…。おれも若いころは散々年寄り連中に盾突いたもんだ」
「そうそう、そうやってみんな成長してくんだよ。旦那もこの内海のようなでっかい心で見守ってやんな」
「ふう~、高尾。お前はやっぱりいい女だなぁ」
「でしょー」
さっきの落ち込みはどこへやら、与作と松尾はふたりで盛り上がりはじめました。
ほかの水主や遊女たちも、それぞれ会わずにいた間を埋めるように、懐かしい話や航海での土産話など楽しそうに語らっています。
―――ただ一組をのぞいて。
寅吉は酒にはほとんど手を付けず、ひたすら仕出しの弁当を食べている。
そのよこでお千代はぽつんと座っているだけでした。
(みんな馴染みの旦那さんとお話できていいなぁ。それに引き換え、なんで私だけがこんな目に……)
お千代がうつむいてぼそぼそと愚痴っぽい言葉をつぶやいていると、となりで飯を食べ終わった寅吉がまたつんけんした物言いをしてきました。
「なんだお前、まだいたのか」
「ここは沖なので行く場所なんてないんですけど…」
それにつられてお千代もややトゲのある口調で言い返します。
しかし寅吉はすました顔でこう言う。
「それじゃあ、また表司〔航海長〕の与作さんか、そのよこにいる姐遊女に助けてもらえばいいじゃないか。自分ひとりじゃ何もできないんだろ?」
「私は直江屋さんの船は初めてで、ほかの姐さんたちと違って前からいる旦那さんもいないし……」
「それで黙って何もしないまま銭だけ受け取るのか?それとも男にまたがるだけしか能がないのか?…だから売女なんだよ。お前」
「それは……」
お千代は言葉を詰まらせます。
(たしかに、今の私はお金をもらえるような仕事はしていない―――)
視線を正面に向ければ、自分たちの世界を作りあげている旦那さんと姐遊女たち。
もうお千代や寅吉を気にする者など誰もいない。
声すら届かない周りを無視して、さらに寅吉は手酌しながらお千代に言います。
「男だって、ただ金払って女を抱きたいわけじゃない。こんな風に楽しく話して呑みたいのさ。そして話し相手になる女がそばいて欲しいから金を払うんだよ。茶屋の大夫だって器量がよけりゃ誰でもなれるってもんじゃねぇだろ。で、今のお前に何ができる?」
―――何ができる。
こういうとき、ほかの姐遊女ならどうするんだろ…。
松野姐さんなら、そもそもこんな状況にはならない。
松尾姐さんだったら、無理やり自分のやりたい方へもっていくだろう。
志乃姐さんは、たぶんこういう男を最初っから選ばない。
いつもの私なら、……いつもは私、旦那さんが話しかけてくることに相づちを打つだけで、自分からは何も話さないし、何もしなかった。
みんな旦那さん任せだった――。
お千代があれこれ考えてと寅吉は、やれやれという顔をしていう。
「今まで何も考えてこなかったんだろ。男に合わせて愛想笑いしとけばいい、とでも思ってさ。そんなので許されるのは、遊女になってひと月くらいまでだぞ」
「私はまだ三か月で……」
「もう三か月だろ。それで、お前のウリってなんだ?」
「…私のウリ?」
「例えば与作さんのとなりにいる太った女は、ふつうなら物のいい方がよくないのは悪いとされるが、逆にそれがいいと思う男は一定数はいる。あと人の手で綺麗に咲いた花より、そこいらで生えてる野草を好むヤツもな。そしてほどよく男を立てることができるから客の付きがいいんだよ。ああいう女はな」
「なるほど。うん、何となくわかる……」
高尾姐さんは傍若無人のように振舞っているように見えても、旦那さんが顔をしかめることは今までに一度も見たことがない。
ああいう高尾姐さんだからこそ、旦那さんもそれをみて元気になれるのかも、…と思ってしまう。
「一番奥の小柄な遊女は、自分の価値が分かってる雰囲気が出まくっているな。器量もいいし、ああいう気質が高級遊女と変わらないから、手に入れたくなる男は多いだろうさ」
「志乃姐さんはそんなかんじ」
「向かいの遊女は表向きは冷たそうにみえて、内面は世話焼き女なんだろうな。気配りに年季が入ってるし、情の深い女だろう?」
「…その通りです」
(なんでこの男は、見ただけでそんなことが分かるんだろう……)
神か仏か、はたまた―――。
歳もたいして変わらなそうな寅吉に、お千代は動揺を隠しきれませんでした。
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