六十五話 お千代の駆け引き

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六十五話 お千代の駆け引き

祭囃子が遠のいてゆく。 それでも両者、沈黙を続けていた。 (この(ひと)は太一と似ている――) とお千代は思う。 弥彦は茶屋の若い衆としての発言をしているように見せかけて、関係のないことをお千代に言わせようとしている。 笑顔でそれらしい言いワケをする太一と、にこやかにそれらしいことを言って別の何かを探ろうとしてくる弥彦。 (前も私の家族のことを知りもしないのに慰霊祭のことを持ちかけて来たり、さっきも私の家族のことについて、茶屋としてはどうでもいいことなのに噛みついてきて、――絶対におかしい…) もう里にいたときのように、考えることを止めていた私じゃない。 相手のおかしな発言だって、分かるときは分かるんだ。 いつまでも男に食い物にされてるだけで、泣いてばかりのか弱い女じゃないんだ。 ふだんから客商売をしている弥彦相手に言葉で勝負するのは分が悪いが、しかしここからはお互い後には引けない駆け引きになる。 居間に上がっているお千代と居間の端に座っている弥彦。 この時点でお千代は勝負を捨てて逃げるという選択肢はない。 表へ逃げるには、弥彦より素早く出入り口の戸まで走らなければならないからだ。 走りにくい仕事着もさることながら、体力的にも無理だろう。 お千代が彼女なりに思考を巡らせている前で、弥彦はやや余裕を取り戻し、にこやかな表情だが鋭い視線を放っている。 身震いするような怖さがあるが、お千代は両の手をぐっとにぎりしめた。 まかり間違っても相手は茶屋の若い衆。 こちらに危害を加えてくることはない。 それだけはこちらに分がある。 今はとにかく相手がどのように揺さぶりをかけてきても、何もしゃべらないのが一番だ。 頭の回転もお千代は適わない。 しかし、それだと何も解決しないではないか。 彼をこの場から退ける方法を考えねば――。 ここで両者五分五分か、もしくは弥彦をやり込めることが出来そうなのはお千代の知る限り、今は東北にいると思われる水主の寅吉くらいじゃないかと考える。 (寅吉さんなら、こんなときにどんなことを言うんだろう……) まずこんなに追い込まれることにはならないだろうけど、ずっと前に彼が私に言い放った()()()()を記憶から引きずり出した。 ――あまりいい思い出ではなかったが、今の状況を打破するには丁度いい。 お千代は目を閉じて、寅吉が言ったあの言葉を自分なりの言葉に置き換え 呼吸を整える。 (弥彦さんが、これ以上の追及をしてこない台詞を考えるんだ) 名案が自分で思いつかないなら、人の真似ごとでいい。 私の言葉に直せば、それはもう私のものだ――。 お千代はゆっくりと目を開ける。 そして彼女の変化を感じて、見守っていた弥彦に告げるのだ。 「先ほどは乱れた髪を整えていただき、ありがとうございます。ですが、私の家族のことを弥彦さんに伝える義務も義理もありません。これ以上の詮索をするのであれば、それ相応の覚悟をなさってください。――私を身請けして所帯をもつぐらいの覚悟が、あなたにありますか?」 真剣な眼差しで、お千代が逆に弥彦を見返す。 すると彼は目をお千代から反らし、強く口を閉じて押し黙った。 弥彦はあれこれ考えているのだろう。 しかし、お千代の言葉を覆して有利になるような策が思いつかない様子だった。 しばらく時をおいて、弥彦は頭をうなだれた。 「……たしかに、僕がお千代さんのご家族の詳細を知る必要はありませんでした。出過ぎた真似をして申し訳ありません」 弥彦は立ちあがりお千代に一礼すると、それ以上は何も言わず、おなごやから肩を落として出て行きました。 真剣な表情を続けていたお千代は、彼が帰って行ったことを確認すると、顔を崩してにんまりと口の端を上にあげます。 「初めて男の人に、本気の駆け引きで勝った!」 それだけでお千代は今日の欝々した気分が吹き飛ぶ。 いつもへらへらして、人に合わせるだけだった詰まらない私。 太一が何をやっても許し、周りに縛られていた私。 だが、この島に来てから人を拒絶することが出来るようになった。 人に拒絶され、傷つくのは嫌だ。 でも私だけが傷つくのはおかしいじゃないか。 それに私だって人を傷つけてでも、守りたいものがある。 (それを教えてくれたのも寅吉さんだったなぁ……) ――今度会ったときは、福屋のあんこ包みを(おご)ってあげよう。 緊迫した状況から自力で脱出することができたお千代は、居間の自分の行李から枕を取りだし、誰もいないおなごやで大の字になって幸せそうに一息つくのでした。 弥彦はおなごやから出て、人の少なくなった東の港の方へと足を向けました。 茶屋に戻っても、夜廻しに向けて昼間に寝ている若い衆がいるので、 ひとりになれる場所がない。 神輿が過ぎ去った東の港は、あまり人を見かけません。 お千代はたまに雁木(がんぎ)に座って海を見ていると人から聞いたが、多分、自分も同じ心境なのだろう。 ――こういう気分の時は、なるほど顔見知りに会いたくないものですね。 弥彦は潮の引いた海面近くの雁木に座る。 そしてさっきのお千代の言葉を反芻するのだ。 (あれは拒絶と挑戦の言葉だった……) お前には関係ないと突き放しながらも、それでも知りたければ夫婦になれるか、なんて、――まるで脅迫だ。 なんて抜き身の刀のような言葉を選んだ!? どうしてそこまで捨て身のような行為を要求する!? 十中八九、そう言えば僕が引きさがると踏んで吐いた台詞だとは思うが、彼女の性格からあんな大それた言葉が出てくるとは思わなかった……。 少なからず僕の方が動揺してしまった………。 ちょっと頭の足りない女性だと、決めつけていたのかも知れない。 相手は沖の遊女なのに、読み書きを習いたいと言い出したほどの向上心のある女性なのに…。 小波さんのことでも、怪しいと思えるくらいに疑っていたのに……。 いつも茶屋の手習いのときに見ている、のほほんとした無害そうな顔を思い出すとソレを忘れてしまう。 そして神社で見かけて追いかけたとき、お千代さんの行動に危うさに胸が痛んだ。 そして彼女のことが知りたくて焦って隙を見せてしまった―――。 (どうやら、…今日の僕は相当に冷静さを欠いてますね。いつもの自分じゃないようで、とても滑稽です) ははははっと乾いた笑い声を口から漏らし、弥彦はひざを抱えてうつむくのでした。
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