普通の国のアリス

1/1
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

普通の国のアリス

「大変、大変! 遅刻しちゃうわ!」  月曜日の朝から、アリスは大慌てだった。 目覚まし時計に気がつかず、「五分」遅刻したのだ。中央線は分刻みで電車がやってくるけれど、何しろ乗客の数が恐ろしく多い。一本でも乗り遅れたら、人の波に捕まって遅刻してしまうだろう。  鏡の前で青ざめた顔をしているアリスを、チェシャ猫が不思議そうにジロジロ眺めた。 「どうしたんだいアリス? 何をそんなに慌てているんだい」 「だって、このままじゃ私、商談に間に合わないわ!」 「分からないな。だったら、遅れていけばいいじゃないか」  チェシャ猫の呑気な言葉に、アリスは呆れてしまった。 「そんな事出来るわけないでしょう……仕事なんだもの! ああ、急がなきゃ……!」 「そんな事も出来ないのか……不思議な国だなあ」  首を傾げるチェシャ猫を置いて、アリスは転がるように玄関を駆け抜けていった。  「本当にゴメンなさい! 私ったらついうっかり!」  火曜日のお昼から、アリスは平謝りだった。 彼女の連絡ミスで、取引先に赤っ恥をかかせてしまったのだ。おかげで昼休みだというのに、担当だったアリスが先方へと急遽駆り出された。  数時間後、アリスは何とかミスをとり繕い、ようやく解放された。疲れた顔をしてビルから出てきたアリスを、チェシャ猫が不思議そうに見上げた。 「落ち込むなよアリス、もう謝ったじゃないか」 「そうだけど……ああもう、こんな時間……。終電まであと五分しかないわ。暗くなる前に帰らなくっちゃ」 「僕には分からない。何で済んだ謝罪を、何べんも何べんも繰り返しやってるのか」  チェシャ猫の呑気な言葉に、アリスは呆れてしまった。 「何言ってるの。それが私の仕事じゃない」 「必要以上に、相手の機嫌をとり続けることが? ……不思議な国だなあ」  首を傾げるチェシャ猫を置いて、アリスはフラフラと街の明かりの中に消えていった。  「見て! あの建物の上の方!」  水曜日の夜から、アリスはもうクタクタだった。 今週に入ってトラブルばっかりで、毎日日付が変わるまで仕事に追われていた。好きな映画は見逃すし、友人とのディナーもキャンセルだし、良いことなんて一つもなかった。それでも嬉しそうに夜空を見上げるアリスを、チェシャ猫は不思議そうな顔で見つめた。 「きれいなお月様!」 「ただの三日月がどうしたってんだい?」 「笑ってるわ。貴方にそっくりね」 「そうかなあ……」  楽しそうにほほ笑むアリスに、チェシャ猫はますます首を傾げた。アリスは持っていた肉まんをちぎると、白い息を吐きながらチェシャ猫に差し出した。 「はい。はんぶんこ」 「やっぱり、僕には分からないな。何で自分で買ったものを、僕にはんぶんくれるんだい?」 「ふふ……きっとこの国ではね、それが普通なのよ」  一つ分の肉まんをそれぞれの手に、二人は寒さを分け合いながら夜道を歩いていった。      
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!