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普通の国のアリス
「大変、大変! 遅刻しちゃうわ!」
月曜日の朝から、アリスは大慌てだった。
目覚まし時計に気がつかず、「五分」遅刻したのだ。中央線は分刻みで電車がやってくるけれど、何しろ乗客の数が恐ろしく多い。一本でも乗り遅れたら、人の波に捕まって遅刻してしまうだろう。
鏡の前で青ざめた顔をしているアリスを、チェシャ猫が不思議そうにジロジロ眺めた。
「どうしたんだいアリス? 何をそんなに慌てているんだい」
「だって、このままじゃ私、商談に間に合わないわ!」
「分からないな。だったら、遅れていけばいいじゃないか」
チェシャ猫の呑気な言葉に、アリスは呆れてしまった。
「そんな事出来るわけないでしょう……仕事なんだもの! ああ、急がなきゃ……!」
「そんな事も出来ないのか……不思議な国だなあ」
首を傾げるチェシャ猫を置いて、アリスは転がるように玄関を駆け抜けていった。
「本当にゴメンなさい! 私ったらついうっかり!」
火曜日のお昼から、アリスは平謝りだった。
彼女の連絡ミスで、取引先に赤っ恥をかかせてしまったのだ。おかげで昼休みだというのに、担当だったアリスが先方へと急遽駆り出された。
数時間後、アリスは何とかミスをとり繕い、ようやく解放された。疲れた顔をしてビルから出てきたアリスを、チェシャ猫が不思議そうに見上げた。
「落ち込むなよアリス、もう謝ったじゃないか」
「そうだけど……ああもう、こんな時間……。終電まであと五分しかないわ。暗くなる前に帰らなくっちゃ」
「僕には分からない。何で済んだ謝罪を、何べんも何べんも繰り返しやってるのか」
チェシャ猫の呑気な言葉に、アリスは呆れてしまった。
「何言ってるの。それが私の仕事じゃない」
「必要以上に、相手の機嫌をとり続けることが? ……不思議な国だなあ」
首を傾げるチェシャ猫を置いて、アリスはフラフラと街の明かりの中に消えていった。
「見て! あの建物の上の方!」
水曜日の夜から、アリスはもうクタクタだった。
今週に入ってトラブルばっかりで、毎日日付が変わるまで仕事に追われていた。好きな映画は見逃すし、友人とのディナーもキャンセルだし、良いことなんて一つもなかった。それでも嬉しそうに夜空を見上げるアリスを、チェシャ猫は不思議そうな顔で見つめた。
「きれいなお月様!」
「ただの三日月がどうしたってんだい?」
「笑ってるわ。貴方にそっくりね」
「そうかなあ……」
楽しそうにほほ笑むアリスに、チェシャ猫はますます首を傾げた。アリスは持っていた肉まんをちぎると、白い息を吐きながらチェシャ猫に差し出した。
「はい。はんぶんこ」
「やっぱり、僕には分からないな。何で自分で買ったものを、僕にはんぶんくれるんだい?」
「ふふ……きっとこの国ではね、それが普通なのよ」
一つ分の肉まんをそれぞれの手に、二人は寒さを分け合いながら夜道を歩いていった。
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