夏の夜はまだ明けない

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 「どうだい?気の済むまで楽しめた?」  私が屋上に戻ると、これから自殺する人間とは思えないほど、彼は屈託のない笑顔で喋り掛けてきた。死相なんてものは、他の人間からは判断できないのだろう。  「そうね、私が居た頃とは全く変わっていたよ。良い意味でも、悪い意味でも」  「へぇ......君もココの出身だったんだ。だとしたら、散策は楽しめたようだね」  彼は目を丸くしながら、ちゃんと驚いてくれた。優しさや人間らしさは、私が今まで出会った誰よりも彼が一番持っているように思えた。  そんな人間らしい人間がこんな所で死んでしまうなんて勿体ないと、私は私らしからぬことをついつい思ってしまう。  「ヒロくん。私、覚悟を決めたよ......」  彼の目が、ゆっくりと私の方に向く。その目は餌を待ちわびた仔犬の目にそっくりだった。  「私、ヒロくんと一緒だったらどんな場所でも付いていきたい」私は、ありのままに思ったことを彼に言う。  「知らない人に付いて行ったら危ないよって、お母さんに教わらなかった?」  意地悪な顔を浮かべて彼は笑う。恐らくこれも、彼なりの私への気配りなのだろう。彼はいつでも相手の気持ちを汲んで、言葉を選んでくれる。  彼は、上面を取り繕うことが誰よりも上手で、だからこそ抱え込んだ闇を誰にも見せずに溜めてしまう、そういったタイプなのかもしれない。  「もう知らない人じゃない。ヒロくんは私にとって大切な人なんだから。だから......」  私は言う。星空の下、貴方に言う。  「だから......、一緒に、死のう」
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