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Daily Days
『「orandum est, ut sit mens sana in corpore sano」この国においては「健全なる精神は健全なる身体に宿る」と訳されてしまった、古代ローマの詩人ユウェナリスの詩の一節として記されたこの言葉。断定的で、なればこそ格言めいた力があるように聞こえるこの一節の元来の意味は、しかし実の意味はむしろユウェナリスの嘆きである。原義の通りに訳すのであれば「健全な肉体の中に健全な精神があって欲しいものだ(が、現実はそうではない)」といった具合であろうか。つまり断定するどころか、反実仮想な願望の滲んだ一節であったわけだ。では、何故に既述のような誤った意味が流布してしまったのか。今や人口に膾炙した世界標準のあの標語と照会しながら歴史を追っていくことで見えてくるものがある。本書は、それを読者諸兄につまびらかにし、我々がいかに狂った世界観に生きているのかを考えてもらうことを狙っている』
と、活動家の穴生奨はその自著『いかにして死ね!』で語っている。
兄に会いに行くための電車が来るのを待つ間、糸倉劃諷は紙で編まれたその『本』に、艶やかなベンチに腰を預けて目を落としていた。兄――――糸倉計磨がかつてそうしていたように、彼の私物であったその『本』を弟は再読していた。
「わかるようでわからないような、わからないようでわかるような……兄さんが保管してた『本』って、こんなのばっかなのかな」
ただでさえ頭を使うことが得意ではない劃諷は集中力が乏しく、計磨のようにスムーズに『本』を読むことはできず、一ページを通しで読むたびにその半分近くインターバルの時間を置かなければならないほどだった。
一度『本』から意識をそらしベンチに深くもたれかかる。万人に開かれた最低限の思いやりでもって背中と臀部を支えてくれるホームのベンチ。
「……」
座ったまま腕を伸ばしていると、いつか計磨と愛犬の散歩をしていたときのことを思い出した。
「ベンチの座面の中間地点にあるこれ、俺とお前と隔てるこのジェリコの壁はどうして存在するか知ってるか?」
散歩の途中、犬のペースに合わせて歩いて疲弊した俺たちが公園のベンチに腰かけていたときだった。
「さあ?」
劃諷は兄の言っている言葉の大半の意味が分からず適当に相槌を打った。なぜ肘掛けを指さしてジェリコの壁などと呼んだのか、そもそもジェリコの壁とは何か。今ならばそれが比喩であることくらいは理解できるが、ハイティーンになったばかりの劃諷にその倍を生きていた兄が何をどう思っていたのかなど慮る余白はなかった。
「大昔は座面の両サイドにも中間にも肘掛けなんてなかったし、背もたれももっと傾斜がついてたんだよ。だけど、ある時から住む場所のない浮浪者を留め置かぬようにと後付的に備え付けられるようになったんだ。考えてもみろよ、この肘かけなければ俺がこのベンチの上に寝そべるだけの平面スペースが確保できるだろ。ほかにもモダンなデザインに見せかけて、単に長居できないようにする設計になってたりな」
「……ふーん?」
俺は計磨の話よりも愛犬をなでることに集中していた。計磨が折に触れてウンチクを垂れ流すのは別にそれが初めてでもなかったし、聞き流していても機嫌を損ねたりはしなかったから。
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