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一息ついたところで次のページを捲ろうと、左手の人差し指を左側のページの左上に添えたとき、劃諷の足に何かがぶつかる感触がした。『本』のさらに下、足元に視線を落とすと小型犬ほどのサイズの人型ロボットが倒れていた。
「あー!」
少し離れたところから、まだ成熟には十余年はかかると思われる年端もいかないワンピースを着た女の子が謝りながら駆け寄ってきた。劃諷は倒れたロボットを持ち上げて少女に手渡す。
「はい。これ」
「ありがとう、おにいちゃん」
そう言って一礼する少女の頭にはカチューシャ型のヘアバンドが見えた。あれでこのロボットを遠隔操作していたのだろう。このロボットにも見覚えがある。テレビで流れていた広告で。集中力を計りつつその向上を目指すことのできる、脳波だけで遠隔操作するロボット。小型ながら人体の構造をほぼ完全にシミュレートしているため、細かく操作するためにはかなりの集中力が要される上、ある程度の人体の構造の把握も必要だというモデルの知育玩具。子どもの頃からその操作をさせておくとなお集中力増進に良い、とも広告では謳っていた。ロボットの頭部には「Re100%」と印字されている。そのプロダクトに用いられているすべてのパーツが完全リサイクル品でありリユース可能であることを示す国際基準のマークだった。
「ねえ、お兄ちゃんが持ってるそれ何?」
少女が興味深そうに劃諷が手に持ったものを凝視していた。
「ああ、これ? これはね」
と、少女がやってきた方から今度は成人した大人の男が駆け寄ってくる。七分袖のシャツから均整な筋肉がうっすらと浮かび上がったその男は「うちの子がすみません。今日買ってやったばかりで場を弁えず遊びだしちゃって」と、言葉に出す前からそのような謝意を示そうという意識が顔に出ていた。
が、その父親らしき人物は劃諷が手に持っているものを見るや否や気色ばみ、
「おいアンタ、大の大人がこんな場所になんてもの持ってきてんだ! ここは公共空間だぞ!」
娘の前だからか、できる限り理性的になろうと努めているものの、抑えきれない唸るような声で男は怒鳴った。男の義憤はそれにとどまらず、劃諷の手に収まっていた『本』を叩き落としさえした。
「あんなもの見ちゃダメだ。向こうに行くよ、ほら」
男は娘の両目をその手で覆って、一瞥をくれるとさっさと劃諷から遠く離れていった。劃諷が何かしらの反応を返す間もなかった。
彼の手には一冊の『本』があった。一冊の『本』しかなかった。
「なんだ、あれ」
劃諷はただ唖然とするしかなかった。かつて計磨がこの場所で同じように『本』を読んでいたときでも、ここまであからさまな嫌悪感――敵意にも近い――を見せつけられることはなかった。それが何故。あの男がたまたま怒りっぽいだけだったのだろうか。
けれど、すぐにその理由に思い至った。
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