Daily Days

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 番組を眺めていくうち、ナチュラリストと呼ばれる人物が明らかに当て馬・人身御供のために呼び立てたであろう番組側の意図が透けて見えてきた。  もっとも、「そもそも不老化のためのウィルスを出生時に寄生させるなんて非人道的であり、すぐに廃止すべきだ」というナチュラリストの主張は、鼻で笑われるようなものとは思えない真面目に論議するべき話題に思えたが。  とはいえその一辺倒であるのもまた事実で、社会学者の言う通り「そのこと自体の議論はされるべきだとは思うが、臍帯の切断と同程度にまで一般化した出生時の不老化処置を廃止することは非現実的」であった。  議論が白熱していく中、劃諷は番組を見ながら「砂金哲也」という言葉を検索にかけてウェブから情報を集めていた。と同時に、端末から聞こえてくる砂金の声にも耳を傾ける。  砂金哲也のバイオグラフィーが法人の公式ページに掲載されていた。 「みなさんご存じのように――――」  砂金は二〇二〇年生まれの六九歳。俳優である砂金銀次郎と、当時不倫関係にあった一般女性との非嫡出子。その女性の信仰していた宗教上の理由から自宅にて産婆の立会いのもと出産。そのため、出生時に不老化処置を受けられなかった。また砂金も不倫が公になることを恐れ、医療機関での出産を拒んでいた。 「――――いくつかの問題がありますが、一つは不老者となるか老者となるかの選択の自由がないことです。本来であれば、このような重大な決定を自分以外のものに委ねるということはあってはならないことです」  砂金が画面の向こうでそう言い放つ。 「それはそうですがね、砂金さん。それは現実的に無理な話です。今の技術では不老化の処置を行えるのは出産直後の動脈管・静脈管・卵円孔が閉じる前に抗老化ウィルスを投与しなければならない。選択がどうのこうのと言ってる余裕はありますまい。それとも生まれたばかりの赤子に、あなたはこの先老いて死ぬ身になりたいか老いぬ身体となりたいか十秒以内にお答えください、などと問いかけますか。  それに、現在は出産当事者がその決定権を握っているのです。戦後直後のように国が強制的に不老化処置をしているわけではないのです。それは民法に規定される『成年に達しない子は、父母の親権に服する』範囲にとどまると考えますがね。少なくとも、第二次大戦直後の優生保護法による中絶合法化に比べればよっぽど生命の権利を尊重していると思いますよ、わたしは」  中絶。生命至高主義が地球全土を覆う現在では、最も忌避される行いの一つ。『恒久生命化条約』を締結した国においては、その母体に著しい負担がかからない限りにおいて禁止され刑罰を科す法を定めなければならない。  これについては計磨も常々「狂っている」と言っていた。また「中絶天国ニッポンと呼ばれたことが相当なトラウマになってるみたいだ」と苦笑していたのも覚えている。  兄ほどではないにせよ違和感はあった。必ずしも本人の望んだ妊娠であるとは限らないのというのに。  評論家の意見を受けて砂金が口を開く。 「もう何年も前のことですが、自らの許可を得ず不老処置を施したことを罪として子どもが母親を訴えた出来事がありました。その子は敗訴しましたが、しかしその報復として自死……皆さんが言うところの自殺を選び、明確な自殺意があったとされ『自殺禁止法』が適用され、結果としてその母親を含む子どもの一親等親族が極刑に処されました。これも、大本を辿れば本人の同意なしに不老化処置を行ったことに端を発したと考えられます」  スタジオが一瞬沈黙する中、砂金は続ける。 「とはいえ、一時間の尺の中でこの問題を突き詰めることは無理ですから、中途半端な尻切れトンボになってしまうよりは、とりあえず疑義を呈すことに留めます。今回は、私は問題の当事者として呼ばれていますから、その当事者として皆さんと意見を交わしたいことが別にありますし。今回のテーマにもなっている、差別の問題です」  それから砂金は滔々と語りだし、遂には番組が終了するまでの数分間、ほかの登壇者に喋らせることなく立て板に水を流すように一方的に言葉を出し切ってしまった。半ば強引に司会者が挨拶をしてコマーシャルに入る。  砂金の主張は、『老人』が差別されるのはおかしいというものだった。本来ならば老いていくことこそが自然な生理現象であるのに、ただマイノリティであるというだけで差別されることへの憤りを表明していた。  そしてその差別を、政府見解による『老人』への障碍者基本法をはじめとする障害福祉関連法の適用がスティグマを増長させているというものだった。そこから年金や保険の制度にも言及していたが、時間がないと踏んでか言及するだけだった。  一方でメディアにおけるある種の特別な立場にいることを自己言及してもいた。主にエンターテイメントや芸術において『老人』は『老人』であるがゆえに重宝されると。たとえば実写映画において、もし「老い」を題材に描きたいのであれば『老人』を登場させなければその説得力が出ないと一般常識的に思われているが、老化した身体を表現するには特殊メイクなりコンピューターグラフィックスを用いなければならず予算に響くが、本物の『老人』を使えばその手間と費用を抑えられる。と、父親と同じく自身も俳優である砂金ならではの視点からの主張も織り交ぜられており、討論でもなければ議論でもない、番組の主旨からは外れてはいるものの、なかなかに見ごたえのある数分間ではあった。  砂金の話の中には、ほかにも初めて耳にする情報がいくつかあった。『亜者』という差別用語の流行。ある漫才師がその言葉を使った漫才を披露して物議をかもしたこと。などなど。 「三十年か……」  窓に写った自分の顔を見つめ返しながら、劃諷はしみじみと呟く。顔も体も三十年前とほとんど変わりない。にもかかわらず、世間は自分の知らない話題で満ち溢れている。街並みだってだいぶ変わっている。大きな世界も小さな世間も絶えず変動し続けている。変わらないのは、その変化に囲まれているはずの人間。その身体だけ。  それが余計にこの身体を奇異に映らせ計磨の思想へと侵食されていくように感じる。
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