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二十三歳。男。独身。都内のワンルームマンションに住んでいる。
八時出社。残業とか会社付き合いもろもろを経て帰宅は夜中の十時ごろ。帰り道に買った缶ビールと酒のつまみをビニール袋に、エレベーターで五階まで。
家に帰るともちろん誰も待ってはいない。
カチ、と付けた部屋の灯に、台所にビニール袋を置いて、投げ捨てる鞄。外すネクタイ。ポケットから取り出したスマホになんの通知も入ってなければ、朝見たまんまのベッドへぼふんと投げつける。
ベランダに出ると都会の夜景にうっすらと見える星空が綺麗で、夏の夜ながら少し肌寒くてたまらない。
尻ポケットから取り出した煙草は、最後の一本。
空になった箱をくしゃりと握り、コンビニで買ってくればよかったと苦い顔をしては、そんな気持ちも払うように咥え、ライター。吹かす煙が夜闇に紛れた。
「……は?」
目の前に横になった女がいた。
ゆっくり、ゆっくり、時間をかけて落下していく少女。それは現象としてあまりにも不可解で、限りなく重力を感じない浮遊でありながら、深海へ沈む船のような、確かな自重を持って落ちていく様。
――空から降ってくる女の子なんて、信じられるわけないが。
「ちょ、ちょちょ、まっ」
咄嗟に手を伸ばそうとしたが届かない距離に、少女は意識がなさそうに見えたし、いくらスローペースと言ってもこのまま地面まで落ちたらどうなるか。
咄嗟の出来事に迷った挙句、俺は、焚いたばかりの煙草を灰皿に捨てると鍵もかけずに部屋を飛び出して階段で向かうことにした。
夢だと割り切るには、あまりにもリアルだった。
――エレベーターで行くことも考えたが、五階分の階段を駆け下りる方がなんとなく早い気がして、三階あたりで息を上げながら、なんとか間に合うだろうと彼女の落下速度を頭のなかで計算しつつ、降りていく。
あの速度なら多少の猶予はあるだろう。
エントランスまでたどり着き、二つの自動ドアを超えて外にまで。
空を見上げながら、ベランダの下の方の敷地へと回り込んで少女を探した。
もし仮に、姿がどこにも見当たらず、夢で終わるならばそれでもいいと考えた。
幻覚なら幻覚で、空から落ちてくる少女なんて居ないならば。
――しかし、やはり、夢ではないらしい。
「………」
眠りにつくような体勢のまま、ゆっくりと落ちてくる少女を見つけると歩み寄って両手を伸ばした。
慎重に触れ、降りる速度に合わせながら受け止めるよう腕を下ろし、なんとなくジブリ映画で観たような空から落ちる女の子のイメージがずっと心にあったので、いつこの魔法みたいな状態が切れても受け止めれるように意識する。
――危なかった。
「は……なんなんだこれ……」
お姫様抱っこで抱えながら、やはり意識はないらしい。というよりも眠っているというのだろうか。
彼女がどこから落ちてきたのか、上を眺めても夜空しか見えないし、――ただ今一瞬、チカッと星のようなものが瞬いて流れたような気がした。
そういえば夏の今の時期は、流れ星が見えてもおかしくはない頃合いだったかと、一人納得した。
「スマホは忘れてきたな……」
受け止めたはいいものの、どうすれば最善なのかがわからない。
警察の方に、は説明ができないので諦めた。
近場の公園のベンチに寝かせておく、にはこの少女にとって優しくない。
「だいいち」
――なにより、この少女は、五年前の彼女と瓜二つの顔をしているのだ。
「夢じゃないとおかしいんだよな、これは」
間違いない。俺の初恋で、初めてデートに誘った相手で、告白した相手で、二年前まで付き合っていた彼女の、高校生の時の姿なのだから。
「……連れて帰るか」
理由を知りたい。なんとなくのそんな思いに、この不思議に満ちた現象を、見て見ぬ振りして終わらすのはもったいないと思った。
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