31 雨宿り

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 花火会場近くの公園を出て、そのあとゆっくり歩いて、いつもの公園のところでバイバイってした。  啓太の下駄のカランコロンって足音をしばらく聞きながら見送ってたら、早くうちに帰れよって、紺色の浴衣の袖を振っていた。  今日、キス、した。  けど、唇がくっつくだけのキスじゃなくて、ちょっとだけ唇噛まれた。吸われた? 舐め……。 「うわ……」  すごい、恥ずかしい。  いわゆる、つまりは、ディープキスをした。啓太と。 「……」  啓太の唇は柔らかい。ベロはもっと柔らかくて、濡れてて、舐められるとドキドキが止まらなかった。  俺の唇、カサカサしてなかったかな。リップとか塗っておけばよかった? でも、リップ塗ってて、キスしたらさ、ベトってしないかな。しそうだよね。  じゃあ、次の時はどっちが――。 「わーっ」  自分で言って自分で照れた。だって、今のは次のキスの準備の話であって、次のキスがあるっていう前提での悩み事、ってさ、すごくない?  キスとか、ついこの間まで漫画の中の世界の話だったのに。自分にはとても遠いところの出来事だったのに。  キスだけじゃなくて、デートも、花火大会も、全部。 「啓太、サッカーの練習休みだったんだ」  まだ、怪我痛いのかな。ひどい肉離れなんだろうな。でも、さっき、俺のこと抱き留めたりでき――。 「あれ? 今、帰ってきたの?」 「あ、紬」 「あっつーい。ただいまぁ」  うちに辿り着いたら、ちょうど紬も帰ってきたところだった。 「ただいまぁ」 「うわ、どこ行ってたの? ビーサンで、山登りしてたとか?」  紬に言われて足元を見ると結構真っ黒だった。 「おかあさーん、お腹空いたぁ、何か食べてもいい? …………だって、お店、高かったんだもん。無理ってなって、食べなかった」  紬が放り出すように下駄を玄関で脱いだ。そのカランコロンっていう音が、さっきまで俺の隣を歩いていた啓太の下駄を思い出させて、また、唇のところがくすぐったくて、そっと指で押して柔らかいのか、カサカサなのか、確かめていた。  夏休みに入ると待っていたのは受験生ならではな課題の山に、最後だからもっと頑張れって感じの部活動。それからハンドフルートの練習っていう名前のついたデートっていうか、なんというか。 「うわー!」  カラオケとかで毎回できたらいいんだけど、お金がさ。だから基本的に公園とかで練習しようってなったんだけど。 「うわぁ、びっちょんこ」 「……いきなりだったな」 「うん。うわ、Tシャツ絞れる」  あっという間に空を鼠色をした雲が覆って、やばいかな、雨かもって思いながら見上げた瞬間、本当にバケツを神様が空の上でひっくり返したみたいな雨が降り出した。 「やむ、かな」 「通り雨だろ」 「……かな」  公園の屋根付きベンチを探して走り回ってる間にもうずぶ濡れになった。その屋根から少しだけ顔を出して空を見上げるとちょっとの隙間もないほど空は鼠色一色。そしてその空からはでっかい粒の雨がバタバタと派手な音を立てて地面に叩きつけられるように降っていた。 「傘、なんて持ってないしなぁ」 「止むまで待つか」 「ぅ、うわあっ!」  頷こうとした瞬間、鼠色の雨雲のせいで薄暗らかった公園がパッと明るくなった。稲光。そして、光に送れる数秒。 「っ」  身構えていたら、ものすごい大きな音で雷が鳴り響いた。 「まだ遠いな。にしてもでかい音。外で聞いてるとすげぇな」 「う、ん」 「……雷苦手?」 「うん。なんかね」  これがさ女の子なら可愛いけど、男で雷怖いとか、ただのビビリじゃん? だから、肩に力を入れて、また次の雷に備えた。そんな俺を手招いて、ベンチを囲うように建てられた日除の板のところに寄りかかる。外からも、雷様も見えないところに二人でしゃがみんで、ようやく一息つけた。 「俺も、結構苦手」 「ぇ、そうなの?」 「あぁ、サッカーの試合でさ、雨でも雪でもサッカーってやるんだけど、雷って即試合中断になるんだ」 「へぇ」  知らなかった。っていうか、雨でも雪でもやるんだ。それもすごくない? 雪の中でサッカーとか、もう絶対に寒くてしんどいじゃん。死んじゃいそう。 「だから、ガキの頃から、雷って最強な気がして。それに、試合中にさ、ゴールを決められるっ! って、思った瞬間に雷鳴って、その試合はそこで中断してさ。あのまま蹴れたら絶対に一点だったのにって。あれは悔しかった」  啓太からサッカーの話を聞くことはほとんどなかった。 「そ、れでその後は?」 「雨止んで、雷ももちろんなくなってから再開した。俺がキックをしようとしたところから場所を変えずに際スタート。けど、ディフェンダーもキーパーももうわかってるから決められなくて」 「えー」 「そんでその試合は一点取れずで終わって、準優勝」 「えっ! マジでっ?」 「マジで」 「げー、雷っ!」  そう空の上の雷様に届きそうな声でクレームを入れると、啓太がクスッと笑った。笑って、濡れた前髪をかき上げる。髪、伸びたよね。少し邪魔そうで、よくそうやって前髪をかき上げるとこを見る。それがまた絵になるカッコ良さで、ついつい見惚れちゃって。見惚れてると、目が――。 「うわぁ!」  そのクレームに答えるみたいに、雷に身構えていた緊張感が解けた瞬間を狙ったかのような、特大雷が稲光とほぼ同時に鳴り響いた。  びっくりした。びっくりしすぎて、隣にいた、啓太に思わず掴まっちゃって。 「……ン」  捕まっちゃった。 「っ、ンン」  キスをよくするようになった。 「こうしてたら、雷苦手なの克服できたりして」 「ン、ぁ、啓っ」 「雷とか気にならなそう」  唇同士が触れるだけじゃないやつを。 「あっふっ……ン」  ディープキスを、するようになった。  たくさん、もっとって、どんどん、花火大会の時にしたのよりも深くて、濃い、声も食べられちゃうようなディープキス。今も溶けちゃいそうな舌同士が絡まり合って、濡れた音にまたブルって震えた。 「ん、啓っ」  キスに夢中になっている間に、もう、雷の音は遠のいて、すごく小さく、どっか、ずっと離れた場所で鳴っていただけになってた。
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