傷だらけの花嫁

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 花嫁衣装専門の仕立て屋、セレスタインは夢を見る。  彼女の目の前には、可憐な海の妖精がいた。  村で栽培された綿を使用した純白の花嫁衣装は、袖をなくして肩を出す新しい意匠に挑戦した。  肩ひものないすっきりとした印象の胸元に、くびれた腰から足先にかけて広がる裾が、穏やかな波のように揺らめいている。  花嫁の故郷の海を想起させる意匠に、華やかに彩られた目元がじわりと濡れていた。  幸福に満ちあふれる横顔に、セレスタインは羨望のまなざしを向けた。 「いつか私も、あんな素敵なお嫁さんになれる」  セレスタインは花嫁の幸福に感化されて、夢見心地につぶやいた。  ふと、頬を伝う温い感触に、重い目蓋を押し上げる。  幸せな夢を見ていた。  この村の貴重な水源である大きな湖は、「星の涙」と呼ばれている。  湖面が青く光って見えるのは、夜になると底に沈んだ「星の石」が青白く発光するためだ。  蛍のように淡く輝く湖面には、長い茶髪に青い瞳の、大嫌いな顔が映っている。  額から左頬にかけて稲妻のような傷が刻まれて、首や両手にはひどい火傷の痕があった。  セレスタインは変わり果てた自分の姿にぽつりと涙を落とすと、重い足取りで、湖を一望できる丘へ向かった。  丘にたどりついたセレスタインは外套を滑り落とし、胸いっぱいに澄んだ空気を吸い込んだ。  あらわれたのは、まばゆい純白の花嫁衣装。  肩や鎖骨の火傷痕を隠すように、胸元には純白の花飾りを。袖には網目模様の薄手の生地を重ねていた。  腰から下は、ふんわりとした花のつぼみを逆さまにしたような意匠となっている。  年頃の娘の理想と夢をつめ込んだ、自分のためだけの花嫁衣装を身にまとい、セレスタインはひとりきりの結婚式をする。  もしかしたら、哀れに思った星々が、傷だらけの花嫁を青金の空へ導いてくれるかもしれない。  淡い期待を抱いて、セレスタインは右足を宙へ踏み出した。 「花嫁か?」  セレスタインの動きが止まった。  おそるおそる振り返ると、少し軽薄そうだが美しい顔立ちの青年が立っていた。  品の良い高級そうな服装から、観光に来たどこかのお坊ちゃんかもしれない。  月明かりの下で、緑の瞳が煌々と輝いている。  きれいな瞳に見惚れていたセレスタインは、はっと我に返り、慌てて外套を拾って頭からかぶった。  薄暗いとはいえ、傷だらけの醜い姿を見られてしまったかもしれない。  健全で美しいこの青年に、軽蔑のまなざしを向けられてしまう。  セレスタインは恐怖に震えた。  軽い恐慌状態のセレスタインに気づいた様子もなく、青年は距離をつめてきた。 「なぜ隠す。せっかく美しい花嫁になったのだろう」  ずきりと胸に痛みが走った。こんな傷だらけの女には縁のない台詞だ。  視線を避けるように外套を手繰り寄せたのが気に障ったのか、青年の眉間のしわが深く刻まれた。 「おい、黙っていてはわからんぞ」 「お、おういわけ、あひはへう」  怯えて反射的に謝罪を口にしたつもりだったが、それは赤子のようにつたなく、形を成さなかった。  セレスタインは精神的な理由から、ことばが不自由になっていた。  激しい羞恥に襲われて、顔が沸騰するように熱くなる。  青年は気の抜けた様子で目をまたたかせていたが、上着から紙の束を取り出して、セレスタインににぎらせた。 「これで会話しろ。それで、何かあったのか」  セレスタインは信じられない気持ちで、青年を見上げた。  悪魔の囁きだと気味悪がられた声を、彼はただことばが不自由だと受け取ってくれたのだろうか。  ためらいながら、渡された硬筆で自分の名前などを書き記す。  紙を受け取った青年は、素早く視線を走らせた。 「セレスタイン・ウォンブラ。花嫁衣装専門の仕立て屋で、村一番の腕前と言われているウォンブラの娘か」  こんな田舎の村娘を知っているとは、この青年は一体何者なのだろうか。 「自分で仕立てた花嫁衣装の試着です。本当の花嫁ではありません? 試着だけでわざわざ湖にやって来たのか。俺には身投げに見えたがな」  責めるような口調に、自然と頭が垂れ下がって、視線が足元を彷徨った。 「ことばが不自由になったのは、一年前の火事が原因か。それで命を絶つのか」  彼はセレスタインがこのような傷を負った経緯を知っているようだった。  一年前。海の妖精を見送った日の夜に、セレスタインの家は火に包まれ、父と母を失った。  一命をとりとめたセレスタインに残されたのは、傷だらけの体と冷たい現実。  セレスタインを哀れむ者もいれば、怪物と蔑み石を投げつける者も少なからずいたのだ。  セレスタインは自分の居場所を失ってしまった。  このひとに何がわかるというのだ。ふつふつと怒りがこみ上げてきて、にぎった拳が震えた。 「それとも失恋か?」  聞き捨てならない台詞に、セレスタインは弾かれるように顔を上げて、必死に頭を振った。  悲しみに大きさなどないが、それでも命を絶つ理由を誤解されるのは悔しかった。  青年は驚いたようにのけぞって、そしてやや高慢な態度で笑った。 「なんだ、これから捨てる命と覚悟したくせに、悔しがれるほどの気力があるのか」  反論しようとして、セレスタインは勢いを失った。  死を目前にして恐怖していたことに気づき、唖然としたのだ。 「仕立て屋」  青年の凛とした声に、背筋が少しだけ伸びた。 「仕事の依頼だ。きみに花嫁衣装を仕立ててほしい」  驚くセレスタインに気を良くしたのか、彼はきれいな緑の瞳を煌めかせた。 「きみの花嫁衣装が気に入った。ひと月後、ここで星の結婚式をする!」  星の結婚式とは、この湖で行われる結婚式のことだ。  底に沈んで発光している星の石は、ひと月後、命を燃やすように強く輝く。  湖そのものが光り輝く光景は「星の海」と呼ばれ、そこで式を挙げると星の祝福を受けると言われている。  声高々に宣言する青年を呆然と見上げていたセレスタインは、慌てて頭を振った。  むっと眉を寄せる青年から紙を受け取り、その理由を走り書きした。 『制作に半年以上かかります。既存の衣装ではだめでしょうか?』  青年はセレスタインを上から下へと無遠慮に眺めて、 「だったら、きみがいま着ているものを使ってくれ。それなら間に合うだろう」  と、にこにこと微笑んだ。  セレスタインはその楽しげな笑顔に怯えながら、こくりとうなずいた。  すると、青年は右膝を少し曲げて、恭しくお辞儀をしてみせた。  さきほどの高慢な青年とは思えぬ流れるような所作に、セレスタインは息をのむ。 「失礼、自己紹介が遅れた。港町で網元をしているエメラルディア家の次男、カイト・エメラルディアだ。腕の良い仕立て屋を探してこの村に来た。俺の花嫁の晴れ姿だ、よろしく頼むぞ」  有無を言わせぬカイトの迫力に、セレスタインは再びうなずいた。
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