第6話

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第6話

「三村くん、チェック終わってる?」 「はい」 「三村くん、それちょうだい」 「はい」 校了前は普段の五倍速ぐらいで駆け抜ける。ホップ、ステップ、ジャンプ、そのどれもを駆使して絶対に間に合わせる。じゃないと社会的に死ぬ。文字通り、デッドオアアライブだ。学生時代、テストの前日に徹夜で勉強していたアレとは比べ物にならないくらいの緊迫感。その分、無事に締め切りに間に合ったときの達成感もアレの比じゃない。 三村くんはもうすっかり会社の戦力になっていた。雑用をこなし、私たち編集者のサポートをし、殺伐とした空気が漂う社内で愛嬌を振りまき場を和ます。彼がいてくれたことで切り抜けられた場面は、両手ではもう数えられないほどになっていた。 「みなさんの夜ご飯買ってきます。リクエストある人」三村くんがよく通る声を出す。 その声に皆、顔を上げる。彼の声も不思議な魅力を持っていた。男性としては平均的な低さで、よく透き通った声。あまり声を張らずとも遠くまでよく聞こえる。 彼の言葉に反応して、おにぎり、サラダ、コーヒー、とあちこちから声が聞こえる。三村くんは「おっけーです」と言って、コートも羽織らずに外に出ていった。一月の夜遅くにもかかわらず、セーター一枚で外に出られる若さを遠目に羨む。 彼がうちに来てくれて、仕事がずいぶんと楽になっている。やっておかなくてはいけなかったのに、忘れていたこまごまとしたことを、彼はいつの間にか終わらせてくれている。雑用として優秀すぎる。 彼の声を合図に、煙草に行く人、トイレに立つ人、休憩を挟む人がちらほら見える。私はデスクに座ったまま伸びをすると、掛け時計が目に入った。時計の針は夜の八時を指していた。これは日付が変わる前に家に帰れないな、と悲観的観測が脳裏を過ぎる。 「ただいまかえりました。ついでにスタバで差し入れ買ってきましたよ」 夜ご飯の調達に行った三村くんが帰ってきた。コンビニのビニール袋を右手に、スタバの茶色い紙袋を左手に提げている。園芸雑誌の部署にひときわ明るい声が響く。 部署内にいる女性陣が顔を上げる。私を含めて五人の女性と、雑用の三村くんがこの雑誌を担当している。私だけではなく、全員が朝から休憩なしで働き詰めていた。そろそろ一息つきたい頃だった。 「フラペチーノです。新作だからつい買っちゃいました」 クリスマスの新作がもうはじまっていたんですよ~、と彼はのんきに喋りながら、それぞれの机に頼まれていた夜ご飯と、フラペチーノを置いてまわる。 「いや、寒いでしょ」冬じゃん、とあちこちから突っ込みが聞こえる。 「新作出たら買わない人ですか?」三村くんも暢気に返している。 「うちらの胃、そんなに強くないって」 「アラサーなめないで」 「ねえ、三村くん、これ、ラーメン一杯と同じカロリーって知ってる?」 四方八方から非難の声が聞こえる。本気で怒っていない、笑いながらのやり取り。彼は本当に、人に愛される術を知っているなと感心する。 「聡子さんにはあんぱんと、お味噌汁と、紙パックの牛乳と、ホワイトチョコのフラペチーノです」 面白い組み合わせですねえ、と間延びした声で彼は笑う。自分の食生活が偏っているのは認めるが、確実にフラペチーノは余計だった。 頼んでいた物と、透明のカップに注がれた真っ白い液体が置かれる。緑のストローが全部埋まりそうなくらいの量の生クリームに、少しだけ引く。 「そういえば、総務の子から聞いたんだけど、三村くんって面接のときは全然真面目な感じだったんでしょ?」夜ご飯を食べながら、先輩社員が何気なく彼に質問する。 「え、そうなの?」思わず大きな声が出てしまう。 「聡子ちゃん、めっちゃ驚くじゃん」 普段から、あまり会話に入らない私が大きな声を出したので、めずらしいものを見るような目で先輩が笑う。 てっきり、彼はこの話し方と立ち振る舞いで入社してきたのかと勘違いしていた。どうやら、面接官の観察眼がすごかったわけではないらしい。 三村くんのほうを見ると、切れ長の目をまんまるにして固まっている。 「いやあ、実は緊張しいなんですよ」 彼は目を細め、恥ずかしそうに笑う。手元では、慌ただしくシャカシャカとフラペチーノをかき混ぜている。私は普段の会話で彼に対して立ち入った質問をしないので、彼のこういう姿、つまり、年上の女たちに弄ばれている姿はなんだか新鮮だった。 「ダウト」 「絶対うそ」 「入ったもん勝ちすぎるでしょ」 部署内に明るい笑い声が響く。束の間の休憩。これであたたかいコーヒーがあったら最高だったのにな、と心の中で嘆く。嗚呼フラペチーノ、おまえに罪はない。 三村くんが来てから、校了前でも随分と心に余裕がもてるようになった。ほかの社員も同じだろう。ただ、毎回夜ご飯とともに彼が買ってくる、ほとんど生クリームの液体だけはどうにかしてほしい。 「つい買っちゃいました」と三村くんは毎回言う。それでも彼は許され、愛されている。なぜなら、愛される術を知っているから。あと、疲れた頭と体に甘い飲み物は染みる。悔しいけれど、そこだけは全員認めていた。 ただ、ひとつだけ困ったこともあった。最近、外でスタバを見かけるたびに、校了前の殺人的な忙しさを思い出すようになっていた。パブロフの犬的なやつだ。スタバに罪はないが、本当に勘弁してほしい。 結局、最後の最後まで作業が終わらず、家にたどり着いたのは日付が変わってからだった。私は無言で靴を脱ぎ、廊下の電気をつける。冷たい廊下を靴下で歩くと、床が沈み込むような感覚に襲われる。このまま泥の中に沈みたい、本気でそう思った。重たい体を引きずり、洗面所までたどり着く。暗闇の中、手探りでメイク落としシートを一枚取り出し、乱暴に顔を拭き、そのまま暗い寝室に飛び込んだ。 今日は金曜日。明日の予定はない。明日の朝起きたらシャワーを浴びよう。泥の中にいるような、あたたかな眠りはすぐに訪れた。 ✳︎ 休日の朝というのは、どうしてこんなにも幸福で退屈なのだろうか。朝、と言ってももうお昼を回っていたが、冬の晴れやかな日差しは、十二時を回っても優しく室内を照らしていた。 休みの日の朝、ポールの歌声は響かない。窓の外、公園で元気に遊ぶ子どもたちの声で目覚める。遠くの方で私とは関係のない日常が繰り広げられている。放課後の図書館、ひとりで本を読んでいるようなあの感覚。校庭からは野球部の声、校舎からは吹奏楽部の音。同じ制服を着て、同じ授業を受け入ている人々が、途端に遠く感じる。私だけが世界から隔絶されている。心が安らぐ一方、ときどき怖くもなる不思議な感じ。 起き上がると、とりあえずお湯を沸かしにキッチンへと向かった。待っている間に歯を磨き、顔を洗う。毎日行う習慣は、休日だろうと、どれだけ体がだるかろうと体に染みついていた。 ふと顔を上げると、鏡に映る自分がずいぶんとくたびれていることに気づく。特に目の下のクマが気になる。擦ったり、伸ばしたりしてみても、くすみは取れない。鏡は嘘をつかない。自分が今年二十九になることを実感する。ただ眉毛を整え、まつ毛を上げて、紅を引いたのを化粧だと思っていた高校生のころとは違うのだ。 髪もずいぶん伸びた。艶々とした黒髪は肩にぶつかって無造作にはねている。最後に美容院に行ったのはいつだろうか。思い出せない。そういえば最近、前髪が目にかかって鬱陶しかった。明日、美容院に行こうと決意する。 「ピー」 台所から、笛のような大きな音が聞こえる。いつもと違う音に驚いてキッチンへ向かうと、やかんから湯気が勢いよく出ていた。お湯が沸いた音だった。 空色のやかん。通販で電気ケトルを買う前に使っていた。つい昔の習慣で、やかんでお湯を沸かしていたみたいだ。無意識のうちに行われる習慣は怖い。そのやかんは、もう十年選手の古株だった。新人の電気ケトルでお湯を沸かす習慣は、つい最近、今年の頭から始めた。寝ぼけた頭は、無意識のうちに長年親しんだやかんを手に取っていたのだろう。 そのやかんは、前の家から持ってきた数少ない道具の一つだった。私はそのやかんの冬の日の朝の晴れた空のような色が好きだった。あそこから持ってきたのは小説と、漫画と、それから空色のやかんだけ。 実家は今、どうなっているのだろうか。 あの家を出てもう十年が経過する。私がいなくなったところで何か変わるわけではない。なぜなら、私はほとんど一人であそこに住んでいたのだから。きっともう、親戚の誰かが売りに出してしまったのだろう。東京で一人暮らしを始めるとき、この家は自由にしてください、と叔父さんに伝えてから家を出た。あの人たちの顔ももううまく思い出せないほど月日は流れていた。それでいい。きっと、その方がいい。 正直なところ、私は過ぎてしまったことはもうどうでもいいとすら思っている。主にあの、愚かでみっともない両親のことだ。 高校受験を終え、四月からはじまる高校生活に淡い期待を抱いていたころ、父と母がそれぞれ別の場所で交通事故に巻き込まれて死んだ。父は不倫相手の若い女性と。母も若い男性とその子どもと旅行に行く最中だった。 それらのことについて、私は特に感想をもたなかった。何も感じない自分、というものに少し動揺し、そしてすごくほっとしたのを覚えている。親が死んで悲しいと思うこともできるし、自業自得だとも思うことができるのだ。これからは私は自分の感情を選択して生きていけるのだ、とかれらの葬式の最中ずっと、的外れな感情を抱いていた。 でも、どの感情も選べるということは、どの感情が正解かどうか分からないということだ。生きていくことに正解がないこと、それは私にとっては恐怖でしかなかった。そして、私はその未知への恐怖を持て余した結果、いつのまにかどの感情も封印してしまっていたのかもしれない。自分に主体的な感情がなかったことに気が付いたのは、大人になってからだった。 ただそれでも、好きだと言えるものはあった。感情を表現するのが苦手だっただけで、心はきちんと動いていたのだ。だって私は生きていたから。彼女が、私に生きることを教えてくれたから。 たとえば、実家の二階、自分の部屋で聞く米軍の飛行機の音が好きだった。唐突に日常にあらわれる大きな音。暴力的な音量に最初は耳をふさぐ。慣れてくるとそうっと手を下ろす。音が遠くなったころに、窓を開けて、飛行機とその後ろに続く白い線を眺めていた。空に浮かぶ小さな点と線が、退屈な日常を抜け出して、私をどこかに連れ去ってくれるような気がしていた。馬鹿らしいけど、ほんとうにそう信じていたのだ。 米軍の飛行機は、東京に出てからすっかり見なくなった。ときどきあの音を思い出して、懐かしい気持ちになるのはなぜだろうか。楽しいよりも苦しい気持ちになることが多かった私の十代。過去を美化しているわけではないのに、あの轟音を思い出すたびに、私は甘酸っぱい気持ちで胸がいっぱいになる。 あまいあまい思い出。お願いだから、早く消えてちょうだい。
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