第5話

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第5話

音楽で生きていきたい。そう強く願ったのはいつだったのだろうか。 さかのぼってみると、小学生の頃のような気もする。まだ世界のルールとか秩序とか何にも知らなかったとき。何もしなくても生きていけるのに、大好きなものの側で生きていたいと愚かにも思ってしまった。夢なんてそんな大層なものじゃない。だけど、ただただずっと、心のどこかでそう思っていた。 高校三年生が間近になると、バンド活動に付き合ってくれていた友人たちも、やれ受験勉強だ、やれ就職活動だと言い訳をして、俺のもとから去ってしまった。当人たちからしたら立派な理由、だけどこっちからしたら立派な言い訳。だが、こっちが勝手に不貞腐れようと彼らには彼らの人生がある。 離婚の原因で「性格の不一致」が多いのって、こういうことなんだろうな。仲が良かったはずなのに、ちょっと歯車が噛み合わなくなっただけで、すべてが上手くいかなくなる人間関係。ああ、無常。 あまりの寒さに頭がおかしくなったのか、ちょうどマスクを取って吐く息の白さを楽しんでいたところだった。突然ライブハウスのドアが開き、仏頂面の先輩が顔を覗かせる。 「ミキ、遅いよ」 「すみません」 俺は手に持っていたミルクティーの缶を握りつぶし、地下へと続く階段を一段飛びで駆け下りた。 サポートギター、それが今日、俺に課せられた任務だった。リードギターがたまたま風邪をひいてしまったらしい。それも、「イ」で始まり「ザ」で終わるやつだ。俺も毎年お世話になっているから忌々しくて名前すら言いたくない。治るまでは絶対に人前には出てはいけないやつ。まあ、季節柄しょうがない。 そういうわけで、このバンドのベースの先輩と知り合いだった俺に白羽の矢が立った。 先輩からの連絡は唐突だった。 「俺だよ俺」 「え?」 「タカヤ先輩だよ」 「ああ、おはようございます」 「ミキ、今日暇なんでしょ」 「あ、はい」 「じゃあ、今すぐ下北沢のライブハウスに来い。場所分かるか?先週一緒にライブ見に行ったところだ。今日はおまえがギターだ」と、まあこんな感じだ。 まるでオレオレ詐欺のような電話だった。しかも、朝目覚めた瞬間に電話がかかってきたから驚いた。先輩、俺の生活監視しているんですか。 彼は四人組の「天空」というバンドのメンバーだ。バンドメンバーは全員二十二歳、つまり俺より五歳も年上だ。ちなみに、タカヤ先輩としか面識はない。 彼らの曲の歌詞はほとんど英語。なのに、バンド名はなぜか漢字。暗い曲が多いくて滅茶苦茶にカッコイイ。インディーズレーベルで活躍している新進気鋭のバンド。一方、俺高校生。いいのか、こんなに適当で。 「おまえしか捕まらなかったんだよ」電話口で先輩はそう言っていた。 先輩曰く、ギターの風邪が判明したのが今朝だったらしい。それで、ありとあらゆる知り合いに電話したのだが、みんなレコーディングやらバイトやら何かしら用事がある。それで、暇人高校生俺の出番。なるほど。いや、納得していいのか、俺。なんか騙されているんじゃないか。たしかに高校生の中ではギターはうまい方だと自負していたが、それにしても素人に毛が生えた程度だ。彼らとはレベルが違う。 半信半疑でメンバー全員と対面する。左から、仏頂面のベース、ドラムの髭男、ギターボーカルの銀髪。そして、高校生の俺。ちなみに不愛想。 「ミッキー、よろしくねえ」と銀髪の男がさらりと微笑む。「タカちゃんと知り合いなんだよね。今日はほんとうにありがとう。こっちがドラムのケイちゃんで、ソラはギターボーカルです。君が来てくれて本当に助かった。ギターがいないと困るんだ。四人じゃないとバンドじゃないから」 四人じゃないとバンドじゃないから。断定的な口調が引っかかる。彼は訳の分からないことを歌うように口にしていた。それが世界の真実かのような口ぶりに、疑問が沸く。別に三人でもバンドはできるだろ。いや、もしかすると、この胡散臭い男はスリーピースがお嫌いなのかもしれない。歌いながらギターも弾くとなると、ボーカルへの負担が大きいから、そう思うのもしょうがない。こいつ、実はギターが上手くないのか?と思いつつも、俺は高校生らしく「よろしくお願いします」とだけ返しておいた。 ✳︎ 緊張とほどよい興奮を持て余していたら、いつの間にかライブが終わっていた。いつもより大きいハコ、ステージライトを受けてキラキラと光る銀色の髪、フロアからの羨望のまなざし、聞き慣れない黄色い声。すべてが新鮮だった。 うしろからボーカルを眺めていて、ハスキーだな、とぼんやり思う。シベリアンハスキーみたいな髪色と、中高音のハスキーボイスのハスキー。 ボーカルの髪の毛は薄暗い所で見ると鈍い銀色なのに、ライトに照らされると次々と色を変えていた。銀と白と灰と薄い青。小さな宇宙みたいな色。照明の角度によって、キラキラの色合いが変化していた。 ハスキーボイスにも不思議な魅力があった。少年のような高い声に、ときどき、ザラっとした手触りの音が混ざる。刺のある声なのに攻撃的な色を含んでいない。紙やすりの目の細かいほうみたいな、思わず触りたくなる声だった。ざらついているのになぜか透明な声質に、俺は素直に惹かれていた。 とにかく、銀髪は舞台映えするやつだった。呼吸ひとつとっても見逃したくなくなるような、そんな不思議な魅力があった。銀髪なんて目立つ髪色じゃなくても、きっと聴衆を虜にする何かを持っていた。やり慣れていない演奏に必死な俺ですら、演奏を忘れて見入ってしまいそうになるくらい。 それに、銀髪はギターも死ぬほどうまかった。たとえ音楽の知識なんてなくても、体で分かってしまうような音だった。 ちくしょう、なんで俺を呼んだんだよ。三人でもバンドできてるじゃねえか。 本編が終わり、メンバーとともに舞台裏に下がる。すぐにアンコールを求める拍手が聞こえてくる。 「どうしよう」銀髪が困った顔でメンバーを見る。「ミッキーができる曲、もうないよね」 ライブがはじまるまでに必死こいて練習した曲は、もうすべて演奏してしまったので、「ないです」と正直に言う。 「ソラ、三人が嫌ならおまえひとりでやれよ」 先輩は汗だくのTシャツを脱ぎはじめていた。ぶっきらぼうな物言いだが、先輩のことを知っているから、彼が決して怒っているわけではないと分かる。 このボーカルは、そんなにスリーピースがダメなのか。もしくは、よっぽどメンバー思いで、ギターの彼がいないなら、バンドは成立しないと思っているのか。それはそれで泣ける話だ。 「ひとりで歌えばバンドじゃないからセーフだよ。たしか、ポールもジョンもひとりで歌っていたよね」ドラムの髭男が、諭すような声で銀髪に笑いかける。 「アンコールはしょうがないよねえ」 銀髪は誰に言うでもなくそう言うと、ステージに戻っていった。 「アンコールありがとう」 真っ黒いアコースティックギターを調整しながら、銀髪が話し始める。ステージには彼一人。 「今日はギターのユウくんがインフルエンザになっちゃったから、急きょ、助っ人を呼びました」 客席の空気が緩む。ユウくん今年もまた?という声がどこからか聞こえてくる。どうやら「ユウくん」の体が弱いのは、ファンにとっては周知の事実らしい。 「いつもと違って新鮮だった?ふふ、ありがとう。三人じゃバンドはできないから、アンコールはソラひとりで歌うね。今日はこの曲でおしまい。来てくれてどうもありがとう」 ステージが真っ暗になる。銀髪が息を吸うのと同時に、スポットライトが彼を照らす。 「ハロー神さま、願いごとがあるんだ。猫になりたい、僕は猫になりたいんだ。君の腕に抱かれて、ふたりで海を眺めながら、気まぐれに傷つけあって、気まぐれに愛し合って、暮らすんだ」 愛する人の歩幅に合わせてゆったりと歩くように歌う。穏やかで幸せなテンポ。バンドの曲なのだろうか。めずらしく、日本語の曲だった。 「ねえ神さま、退屈で悪くないと思わない?どうかな?」 ギター一本で銀髪は歌う。目の前にいる大事な誰かに囁くように、目を伏せながら。 「グッバイ神さま。どうやら僕はひとりで生きていくみたい」 銀髪はそっと目を開けて、はにかんだ。袖から見ていると、笑っているのに、泣いているみたいに見えた。 「なつかしいね。今日はどうもありがとう」 マイクから少し離れてそう言うと、銀髪は薄暗いステージを去っていった。 ✳︎ 「アンコールの曲はどのアルバムに入っているんですか」 楽屋に戻ると、タカヤ先輩はタオルで頭を拭いていた。乱雑に広げられた機材を踏まないように気を付けながら、そう尋ねる。この人たちのCDは全部チェックしているつもりだったが、さっきの曲ははじめて聞いた。 「あれはどこにも入っていないよ。高校生のときにあいつが初めてつくった曲」俺の問いに、先輩が顔を拭いながら答える。「世界観が合わないので、お蔵入りになりました」 先輩は荷物をしまう手を止め、変に業務的な口調でつぶやいた。 「天空って、女子に人気なんすか」 ほかにもいろいろ聞きたいことはあったが、一番気になったのはこれだ。やたら女の声が多いのが不思議だった。ボーカルの容姿がバンドの人気に影響するとはよく言うが、それにしても彼らはトータルでイケメンではなかった、残念なことに。 「ああ、黄色い声な。すごいっしょ。あれ全部ボーカルあてだから」 「あの銀髪の」 「そうそう、ソラ。あいつなんか雰囲気あるのよ」先輩は「悔しいねえ」と、全然悔しくなさそうに、むしろ悪人面で笑っている。 「物販に行ってごらん。ソラの人気が分かるから」 ドラムの髭男が笑顔のまま楽屋に戻ってきた。どうやら彼は物販に顔を出してきたらしい。 「はあ」 「行ってみるといい。君はソラと同じギターボーカルだって聞いたよ。矢面に立つ人間として、もしかしたらいろいろと参考になるかも」 ✳︎ 「ソラくん、これ差し入れ」 「ソラくん、久しぶりにあの曲歌ったね」 「ソラくん、写真撮って」 「ソラくん」「ソラくん」「ソラくん」 物販の隣で、銀髪のボーカルの周りをたくさんの女が囲っていた。「ソラくん」と呼ばれるその人は、全ての言葉に顔を向けて対応する。 アイドルかよ、とバカにするような感想が思いつかないから不思議だ。その視線に一切の媚びがない。たぶん、この人は普段からこんな感じで、人からの好意を自然に受け取れる人なんだろう。そしてその性質が女のファンを増やしたんだろう。だって、別にそこまで美形じゃないし。雰囲気あるけど。 「あ」 女たちの顔の動きから、銀髪の視線が動いたのに気付いた。一瞬だけこっちを見たらしい。周りを囲む女たちは敏感で、視線の先にいる俺を見つけると、「今日ギターだった子だよね?」と「ソラくん」に語りかけていた。 「ミッキー、こっちおいでよ」銀髪の軽やかな笑顔が俺を捕らえる。 やめてくれ、俺は女が苦手なんだ。とは言えず、高校生の俺は素直に輪の中心に入る。 「え、高校生?見えな~い」 「大人っぽ~い」 「君もバンドやってるの?」 「プロになるの?お姉さん応援しちゃう」 「ソラくんとは違ったタイプだけど、ミキくんもカッコイイね」 四方八方から投げつけられる言葉。まるで会話のドッジボール。聞き取れたのはこのくらいだった。これがほんとうのドッジボールだったら、俺は一発で外野行きだ。何と返事すればよいのかわからず、まごついていると、代わりに「ソラくん」が答えてくれる。 「彼、大人っぽいでしょう?」 「大学生だとよく間違われるんだ、ね?」 「いろいろ考えているんだよね?ソラたちだって、ほとんどフリーターだし」 「ソラもカッコイイ?ありがとう」 俺たちは初対面なはずなのに、なんとなくそれっぽい返事をしてくれたので助かった。すごい、この人。勢いよく相手から投げられたボールを軽々と受け止め、外野にパス回しをする。場の雰囲気を盛り上げつつも、競技としてドッジボールを楽しんでいる。必死な感じはどこにもない。こういう人がきっと最後まで残れるんだ。この銀髪、人前に立つのにことごとく向いている。 ていうか、別にバンドじゃなくてもいいじゃん。いっそアイドルとかでもいいじゃん。俺は嫉妬か憧れかなんだかよくわからない感情が芽生えたのを感じたが、それを素直に認めたくはなかった。 ✳︎ 「いやあ、ミッキーのおかげで助かったよ」 帰りの電車、隣に座る「ソラくん」は軽やかにそう言った。 「ていうか、今日はあなたがリードギターもやればよかったんじゃないですか。そんくらいヨユーでしょう。わざわざ高校生なんて呼ばなくても」 これはライブのあいだずっと思っていたことだった。自分で演奏してみて気がついたが、リードギターに求められている演奏はそこまで難しくなかったのだ。そして、歌いながら飄々とギターを奏でる銀髪のほうが、どう考えても難易度の高いことを軽々とこなしていた。別に三人でもよくないか。スリーピースにどんな恨みがあるのか。まさか、偶数じゃないと喧嘩したときに仲違いしやすいとか、そんなくだらない理由じゃあるまいだろうな。 「バンドは四人じゃないとダメなんだよ」と彼は真剣に言う。 「なんでですか」 「ビートルズが四人だったから」ポールでしょ、レノンでしょ、リンゴくんでしょ、ジョージでしょ、と指折り数えている。 「ビートルズが好きなんですか」 意外だった。彼らとビートルズでは、英語で歌っているという共通点しか見当たらない。この人がつくる曲は、あまりにも曲調が暗すぎた。アンコールで歌っていたあの曲を除いて。 「ううん、ビートルズが好きだった人が好きだった」 「恋人ですか」 「ううん?そういうことなのかなあ。ちょっと違うかもしれない」分からないなあ、と曖昧に笑っている。 「ソラって本名ですか」 「ええ?どうしてそんなこと聞くの」 「ソラさん、今は彼女いないんですか」 「彼女…恋人はいないかなあ」 「あの曲いいっすね。あの、アンコールの、」 「ああ、恥ずかしいなあ。高校生の頃、今よりもまだ全然お客さんがいなかったときによく歌っていたんだ。当時歌っていたのとは、歌詞が少またし変わっているんだけどね」彼は照れくさそうに、右肩をさすっていた。 「曲のタイトル、なんて言うんですか」 「ええ?恥ずかしいから内緒」 メンバーも知らないんだ、と目を伏せて笑っていた。別にイケメンじゃないのに、どの動作をとっても様になっているから悔しい。 それ以上は特に話すべき事柄も見つからず、ただひたすら並んで座っていた。 ソラさんはそれからずっと、なんとなくといった感じで、左手でギターケースを触っていた。俺はただ、彼の足の間にある空色のナイロンのケースを眺めていた。 小柄な背丈の割には大きな手と足。オーバーサイズの黒いブルゾンに、黒いブーツにオレンジ色の靴紐。それに銀色の髪。全部ちぐはぐなのに、ソラさんが身に纏うとぴったりと似合っている。不思議な人だった。 渋谷で俺たちは分かれた。帰り際、ソラさんは「またね」と言った。 いや、「また」とかないっすよね、と心の中でツッコミを入れる。俺とアンタたちではレベルが違う。そのことを今日思い知った。ひとりきりになると、やるせない気持ちでいっぱいになった。 駅構内の喧騒を歩くソラさんの身体は、真っ青のギターケースにほとんど隠れていた。たまに覗く銀色の髪が、暗闇でも鈍く光っていた。明るくても暗くても光る銀色。場所を選ばず、どこでも輝ける。輝き方はその場にあわせる。それは、彼の存在そのものみたいだった。 ライブハウスの自販機で買ってもらったココアは、もうすっかりと冷え切っていた。そうか、もう冬だったのか。春が来たら俺はどうなっているんだろう。ココアが勝手に冷めて、ちょうどいい甘さになるように、俺の将来も勝手に決まって、勝手に進んでほしかった。
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