二章 藍原唄は歌いたい

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「これ」  昼休み、屋上に向かおうとした俺の前に差し出されたのは、CDケースだった。 「なにこれ」 「フルクルのアルバム」  渡してきた張本人、藍原に尋ねると、彼女は静かにそう答えた。 「ファーストアルバム。私の、オススメ」 「ああ、そう……」  硬直。しばらくして、藍原は「ん」とアルバムを俺に向けて押し出してくる。 「貸してあげる」 「……なぜ?」 「妹さんと、共通の話題、ほしいんでしょ」  妹、そういえばそんな話もした。だからといって昨日の今日でCDを貸してやろうという発想に至るものなのだろうか。誰かと貸し借りなんてしたことないからわからないぞ。 「五番目の曲、一番好き」 「へ、へえ」 「それじゃ」  俺がアルバムを受け取ると、藍原はぱたぱたと教室を飛び出していった。耳のあたりが少し赤かった気がするのは、微妙にクラスの連中から注目を集めていたせいだろう。  この前の妙な一幕から一転、まるで友達みたいなやりとりをしている俺達は、クラスの連中からどういう風に見られているのだろうか。少なくともなぜかニヤニヤしている座間は後で絞っておくことにした。  しかし、まあ。 「オススメ、ねえ」  手元のアルバムをしげしげと眺めてみる。お返しに俺のオススメ耳かき音声とかを聴かせてやった方がいいのだろうか。  ……いや、それはないな。そもそも男性向けの作品しか守備範囲じゃないし。 「なあなあカッキー、いったい藍原さんと何があっぶぅっ!?」  絡んできた座間のみぞおちあたりに肘鉄を叩き込みつつ、俺はそっと鞄の中にアルバムをしまった。借り物だし、今日は気をつけて鞄を持って帰らないといけない。  帰宅して早速、俺は藍原から借りたCDをパソコンの中に取り込んだ。ヘッドホンを差し込んで曲を聴いてみる。聞き覚えのある曲はほんの数曲で、それ以外は知らない曲ばかりだ。藍原が好きだと言っていた曲は、昨日彼女が演奏していた曲だった。  フルクル――The Fool and Cool――はロックバンドで、ギター&ボーカル、ベース、ドラム、キーボードの四人で構成されている。独特な世界観を持った不可思議な歌詞、それでいて込められたメッセージ自体は実にシンプルで胸を打つものが多い。曲調も多彩で、それらが人気の要因となっている、らしい。  流行の曲なんてほとんどわからないが、俺とて人並みには音楽の好き嫌いがある。アルバム中の全曲が好きというわけではなかったが、何曲かヘビーローテーションしてもいいと思えるものはあった。 「ねえカキタロー、私も聴きたい」 「おまえヘッドホンもイヤホンもつけられねぇだろ。これ前も言ったぞ」 「あっ、そうだった……」  酷く悲しそうな面をするプリシアに、なんだかバツが悪くなる。俺は頬を掻きつつ、パソコンからヘッドホンを抜き取った。  ノートパソコンの内蔵スピーカーから音が流れ出し、プリシアは目を丸くする。 「音楽聴くだけならヘッドホンもイヤホンも要らねぇよ」 「むぅっ、カキタローまた意地悪した!」 「意地悪っていうか、おまえこのことは知ってるはずなんだけど……」  耳かき音声を内蔵スピーカーで流してやったことがあった気がする。  にもかかわらず不機嫌そうに文句を垂れていたプリシアだったが、ほどなくしておとなしくなった。次々流れる曲に、彼女の意識はもう釘付けのようだ。  そこに音色が見えるかのように、プリシアはパソコンの液晶画面をじっと見つめている。 「精霊界には音楽とかないのかよ」 「ないよー。私達はね、必要ないものは作らないの。ただ生まれて、生きて、死んでいくだけ」  死生観、よりももっと大きな、価値観。それが根本的に違うのだろう。  実際、生命として生きながらえるだけならば音楽は必要ない。野球も、ましてや耳かき音声なんて腹が膨れるわけでもなんでもない。  けれど、プリシアは、 「でも私は、これ好きだな」 「……そうか」 「もっと、いろんなことを知りたい。人間のことを」  そう言ったプリシアの横顔に、視線が吸い寄せられる。俺は口を開こうとして、しかしドアの開く音に遮られた。 「り、梨子……?」  そこに立っていた妹の名前を口にする。彼女はずんずんと部屋の中に入ってきて、そのまま机に叩きつけるようにして何かを置いた。 「ふん」  不機嫌そうに鼻を鳴らして出て行く梨子を、俺は呆然と見送る。しばらく黙っていると、同じようにフリーズしていたプリシアが小首を傾げた。 「ど、どうしたのかな」 「少し音出し過ぎたか。勉強の邪魔だったかもしれん」 「わ、私のせい? ごめんなさい……」 「いや、おまえのせいってわけじゃ」  自然と慰めようとして、言葉が止まる。  梨子が持ってきたのは、フルクルのCDだった。藍原から借りたのとは違うものだ。藍原のはファーストアルバムとか言ってたから、こっちはセカンドとかサードとか、もしくはシングルかもしれない。 「これは……」  どういう意味なのだろうか。  どうせ聴くならフルクルの曲を全部聴けという無言の圧力なのか。もしくは梨子にはファーストアルバムが気に入らない事情があって、聴くならこっちにしておけという無言の命令だろうか。どのみちおっかないな、自分の妹なのに。  まったくもって真意はわからないが、わざわざCDを渡しに来たということは音楽を流すなとかそういう要望ではないのだろう。  俺は音量を少しだけ下げてから、プリシアと一緒に梨子に渡されたCDも含めた全楽曲の鑑賞会を執り行った。  夜に耳かき音声を聴こうとも思わなかったのは、ずいぶん久しぶりのことだったような気がした。
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