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俺は慌てて辺りを見回す。今まで怪人が出現した時とは違う。今までは怪人が現れると、だいたいどの方角にいるのか感じ取ることができた。
けれど今は、ただ漠然と「近くにいる」と感じる。それはつまり、目の届く程度の距離にいるということではないのか。
「カ、カキタロー」
「ああ。わかってる」
俺は頭上を見上げる。夜空には薄紫の靄のようなものがかかっている。結界だ。
やはり、敵は傍にいる。
通行人がパタリパタリと倒れていく。少しずつ気力が抜けていくかのように地面に突っ伏していく彼らを見て、藍原が小さく悲鳴を上げた。
「みんな、どうしたの?」
「心配するな。今日もサクッと討伐してやる」
宣言して、俺は気づいた。我ながら凄まじい勢いで、横を振り向いた。
「な、に?」
藍原がこちらを見ている。
まっすぐに、俺を見ている。眠たそうにする気配すら一切なく。
――なぜ、こいつは眠らない?
「カキタローっ!」
プリシアの叫び声と、〝それ〟が俺に襲いかかるのとはほとんど同時だった。
側頭部に何かがぶつかるような衝撃がして、全身が横殴りに突き飛ばされる。目の前の景色がジェットコースターなど屁でもないぐらいの勢いで流れていき、やがて背中からアスファルトに叩きつけられた。
自分がサッカーボールみたいに地面を跳ねるのを、まるで他人事のように感じていた。
「美泉、くん、っ!?」
「いや、大丈夫。安心しろ」
俺はむくりと立ち上がった。離れた場所でさえ、藍原が目を剥くのがわかる。まあ、下手なホラーより怖いだろうな、今の感じから普通に起き上がるのは。
「で、でも、血が」
言われて、頭のあたりにジンジンと広がるような熱さがあることに気づく。触ってみると指にべったりと血が付着した。
「古傷だ。たいしたことじゃない」
最初にヒーローになった時に負った傷がぶり返したのだろう。ほとんど記憶に残っていないが、けっこうな深手を負っていたようだ。
なんにせよ、今は目の前の脅威に対処すべきだろう。
「貴様は本当に頑丈にできているな」
俺達の頭上に黒い球体が現れる。その下には、ちょうどいま俺に攻撃を加えたのであろう怪人が立っている。タコの触手のような腕を持った怪人だ。
「まさか結界の中にヒーローがいるとは思わなかったが、むしろ僥倖だったと言える。不意打ちは効いているようだな?」
「とうとう積極的に俺達を倒す気になったか……上等だ、決着つけようぜ……!」
「何を勘違いしているのか知らんが、貴様がここにいたのはただの偶然だ。私の目的は、そこの〝素材〟だ」
「素材……?」
精霊の言葉に、俺は数日前のやりとりを思い出した。
それは屋上でちょうどいいヒーロー候補はいないのかと尋ねた時の、ヴェールの言葉。
――下手に怪人にされる前にヒーローとしてこちら側に取り込んでしまった方が安全だろう。
「待て――」
俺が言い終えるよりも早く、怪人の触手が伸びる。吸盤だらけの腕は思いの外素早く、俺は呆気なく攻撃を食らってしまった。
「カキタロー!」
プリシアの叫ぶ声が、ずっと遠くから聞こえる。違う、それは錯覚だ。意識が飛びかけている。
思っていたよりも最初の一撃が効いているらしい。血と一緒に気まで抜けているようだ。
「女、貴様からは巨大な負の感情エネルギーを感じる」
「な、なに、あなた」
「私の力になってもらおう」
藍原の問いかけに、ハイトは答えない。ただただ自分達の話を一方的に投げつけていく。
「感情に乗って貴様の記憶が見える。大好きな歌を認めようとしない両親への不満。認められないことから生じる孤独感。辛いだろう。苦しいだろう。こんな感情、いっそなければいいのにとさえ思うのではないか?」
「あ……ああ……」
視線の先で、藍原が膝から崩れ落ちる。頭を抱えてうめき声のようなものをあげている。
尋常でない様子だ。奴の言葉には精神に直接語りかけるみたいな、そういう効力があるのかもしれない。
しかし、ハイトは首を傾げた。
「ふむ、意外と手強い。これだけの負の感情エネルギーだ、少し揺さぶりをかければ心を開いてくれると思ったのだが。貴様が何かしたか?」
その問いかけに挑発でも返してやろうかと思ったのに、俺の口は開かない。全身のどのパーツでさえ、地面に這いつくばったまま動いてくれない。
「まあいい。何の問題もない。すぐに終わる」
そう言って、ハイトの視線は藍原に、その傍に置かれたギターへと向けられた。
「貴様の大切なもの、試しに壊してみようか」
ハイトの声に呼応するように、俺を牽制していた怪物が藍原の方へと向き直る。
「おい……待、て……」
絞り出した声は、声というにはあまりにも情けない空気の漏れる音のようだった。そんな呼びかけでは、当然怪人も止まらない。一歩一歩、ゆったりとした足取りで藍原に近づいていく。
絶望が、迫っていく。
怪人の触手が、藍原のギターを射程圏に捉えた。
――やめろ、それだけは。
もはや喉からは声すらも出ず、俺は怪人が腕を振り上げるのをただ黙って見るしかなく――
「――ダメぇっ!!」
絹を裂くような悲鳴と共に辺りに閃光が広がる。
あまりの目映さに反射的に目をつむってしまう。なんとか瞼を上げると、刺すような光がまだ視界を埋め尽くしていた。
やがて光量が弱くなり、開けた視界では、
「それだけは、絶対にダメっ!」
プリシアが、ギターを庇うように構えていた。
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