一章 精霊は耳かきができない

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 座間が置いていった鞄から鍵を拝借して、自転車で中学校へと向かう。ヒーローになれば飛んで行けただろうが、俺が変身するにはプリシアが近くにいないとダメらしい。  汗だくでたどり着いた中学校は、遠目で見た時と同じように薄紫のドームに覆われていた。 「なんなんだよ、これ」 「結界だ。内部からの脱出、および外部からの侵入を防ぐ目的がある。一般人には視認すらできず、ただ自然と足を遠ざけなければならないという心理に襲われるようになっている」  ついてきたヴェールが丁寧に説明してくれる。 「俺は中に入れるのか?」 「君は感情エネルギーを介してプリシアと繋がっている状態だから、問題なく通れるはずだ」  彼女の言う通り、特に問題なく結界を通り抜けることができた。中は無人のように静かだ。 「どうなってんだ。人はいないのか」 「いるさ。ただ普通の人間は結界の効力で眠らされているだろう。そうしてじっくりと多数の人間から感情エネルギーを奪うのが奴の手口だ」  校庭の方を見ると、体操服のまま倒れている生徒達がいた。  昨日も駅前では大勢の人が倒れていた気がする。俺が起きていたのは、まあプリシアに話しかけられていたからか。  結界の中には誰も入ることができず、中にいれば眠らされる。その上、精霊は物体の修復や記憶の操作も行えるというのだから、事件として報道されるはずもないわけだ。 「にしても静かすぎないか。座間が戦ってるんじゃないのか」 「そのはずだが」  耳を澄ましてみると、微かにどこかから声がする。その出所は体育館のようだった。  扉を僅かに開けて中を覗いてみると、  ロープで縛り上げられている座間がいた。 「なんであいつ捕まってんだよっ!!」  めちゃくちゃ小声でめちゃくちゃ叫んだ。 「キュウイチは少し抜けているところがあるからな。今までは私がフォローしていたのだが」 「だったらさっさとなんとかしてこいって!」 「あの状態で私が加勢しても焼け石に水だ」  仮にヒーローを名乗るのであればもっとしっかりしてほしいものである。文句の一つでも言おうとした俺の耳が、聞き覚えのある声を捉えた。 「もうっ、どうしてこんなことするの!」  もう一度、扉の隙間から体育館の中をのぞき見る。叫んでいるのはプリシアだった。 「何してんだあいつ」 「叱っているな」  プリシアが叱りつけているのは、ヴェールに似た光る球体。しかし、そちらはどす黒く光っていて実に禍々しい。ゲームに出てくるダークマターとか、あんな感じだ。 「こんなことしちゃダメだよ!」 「貴様、精霊か?」 「そうだよっ! あなたを止めに来たの、どうしてこんなことするの!?」 「……悲願のためだ。私は止まるつもりはない」  やけに張りのある男の声だ。どうやらあれが黒幕らしい。 「ハイトという名前の精霊だ。詳細はわからないが、怪人を生み出し人間界で何かをしようとしている」  プリシアはハイトとやらに飽きもせずつっかかっているが、まるで相手にされていない。  改めて中の状況を検める。気を失って倒れている生徒が十数名。中央にはぐるぐる巻きにされた座間とふわふわ宙に浮いているプリシアに、禍々しいオーラを放っているハイトと怪人が一体。怪人はゴツゴツした岩で全身を覆う人型の姿をしており、細身のゴーレムのようだった。 「おい、〝さっきの話〟本当だろうな?」 「私は嘘は吐かないよ」  ヴェールの肯定に、俺は唾を飲む。腹をくくる時がきたらしい。  俺は勢いよく体育館の扉を開けた。その場で起きている全員の注目が集まる中、叫んだ。 「おいそこのポンコツ精霊!」  一瞬の静寂が訪れる。俺の言葉に応える者はいない。 「……おまえだプリシアァ!」 「えっ、えぇ!?」  プリシアは天地がひっくり返ったみたいに驚く。 「ヒーローになってやる、さっさと力をよこせ」 「あ、う、うんっ!」  慌てた返事の直後、俺の全身が輝きを放つ。湧き上がってくる力に身を任せること、しばらく。  俺は黄色をイメージカラーとしたヒーロースーツに身を包んでいた。戦隊モノでいえばすこぶる微妙なカラーチョイスな気がするが、特に文句はない。  変身を終え、さらに念じる。手の中にエネルギーが収束していき、やがて密度の高いエネルギーは武器としての形を成す。  それは、竹刀と見紛うほどに巨大な――耳かき棒。 「自分で言うのもなんだが、武器としてどうなんだこれは」 「ヒーローの武器は感情エネルギーが具現化したものだ、君がもっとも心血を注ぐものに近くなるのは仕方ない」 「近いっていうかそのものズバリだけどな!?」  ヴェールにツッコミをいれていると、やたら重々しい足音が聞こえてくる。怪人がその見た目通りの重々しい足取りでこちらに向かってきていた。 「なんだよ、めちゃくちゃ鈍いじゃ――」  俺の言葉は最後まで続かなかった。  腹部を襲った衝撃に、肺の中の空気が押し出される。さっきまで視線のずっと先にいたはずの怪人が、ゼロ距離で俺の腹に膝蹴りをぶち込んできていた。  そのままの勢いで天井へと叩き上げられ、俺は体育館を真上から見下ろす羽目になる。 「気をつけろカッキー、そいつ意外と超速い!」  ――それは早く言えよ。  俺は心の中で文句を垂れると、力なく床に向かって落下していく。 「眠らせておけ」  ハイトの命令に従い、怪人が構える。落ちていく俺にもう一発叩き込んでダメ押ししようという魂胆なのだろう。  絶体絶命のピンチに、プリシアが叫ぶ。 「カキタ――」 「どぅおらぁぁぁぁっ!!」  怪人と接触する直前、俺は空中で思い切り身を捻って敵の繰り出してきた拳を回避、そのままの勢いで奴の側頭部へと耳かき棒を叩きつけた。  怪人はごぼっ、とかぐばっ、とかやけにくぐもった悲鳴を上げて倒れ伏した。 「なに……?」 「いやぁ、すげぇなヒーローってのは。あんな攻撃食らったのに全然痛くないわ」  驚いたような様子のハイトを煽るように言う。まずは敵の冷静さを奪う、戦いの常識である。 「観念しろ。自慢の怪人はこのざまだぜ」 「……興味深いものを見させてもらった。ゆえにこれは、私からの礼だ」  すぐ傍から聞こえてきた獣のような雄叫びに振り返る。いつの間にか立ち上がっていた怪物が俺の背後で腕を振り上げていた。 「ダ、ダメっ!」  俺達の間に割って入るプリシア。しかし、怪物の腕は実体を持たない彼女をすり抜け、そのまま俺の頭に―― 「ふんぐぉ!!」  それはさながら赤い彗星だった。  座間がミサイルのように飛来してきて怪人の腕に直撃、そのまま怪人を後ろへとなぎ倒す。 「うっひょぉ頭いってぇ!」  俺は床に落ちて身もだえ始めた座間をただただ呆然と見つめるしかない。 「なにしてんだ、おまえ」 「カ、カッキーのために、頑張りました……!」  キラリと白い歯を見せて笑った、かどうかはわからない。ヘルメット被ってるし。ただそう思わされるほどに清々しい声だった。  どうやらこいつ、全身を縛られた状態のまま脚力だけで跳んで俺を助けたということらしい。とはいえ……、 「ぶっちゃけ食らってもたいしたダメージにならなかった気がするんだが」 「それ言っちゃうの!? いま!?」 「まあ、ありがとう。座間、おまえには助けられたな。おまえには」 「……カキタローは意地悪だ」  不機嫌そうな声のした方へ目を向ければ、プリシアのふくれっ面があった。  あたりを見回してみれば、すでにハイトの姿はない。どうやら逃げられてしまったらしい。 「ちっ、とっとと捕まえて目的を果たそうかと思ったのに」 「いやぁ、かれこれ何回か戦ってるけどいつも隙を突かれて逃げられちゃうんだよなぁ」  あははと笑う座間。……それ笑い事じゃなくね? 「カッキー、助けに来てくれてありがとな。マジ助かった」 「……別に、俺は自分の目的のために来たんだ」  言いながら、俺は倒れている生徒達の顔を見る。梨子の姿は……あった。体育館の端の方ですやすやと寝息を立てている。心配する必要はなさそうだ。  ……よかった。 「カキタロー、目的って……?」  プリシアに問われて、俺は親指でヴェールを指し示す。 「こいつに聞いた。もっと多くの感情エネルギーを俺から補給すれば、おまえはこっちの世界でも実体化できるかもしれない。ただし、一度に感情エネルギーを摂取しすぎると俺の身体に負担があるうえに、怪人と戦うのにもエネルギーを消費する。そうだな、ヴェール?」 「ああ、その通りだ」 「だったら話は簡単だ。悪の精霊とやらをとっととやっつけちまえばいい、だろ?」  俺は口の端を歪め、ついつい笑い声を上げてしまう。 「一日でも早くハイトとかいう奴をとっつかまえて、プリシアに約束を果たさせて、俺は耳かき音声に捧げる日常を取り戻す……!」 「カッキー、なんだか悪役みたいな笑顔してるぞ」 「ふむ、おまえのパートナーは興味深い奴だな、プリシア」 「ひ、ひえぇ……」  なんとでも言うがいい、俺は人類を救うためでもなんでもなく、己の野望のためだけに戦ってやる。  高らかな笑い声が体育館に響き渡った。こうして俺は、改めてヒーローとしての一歩を踏み出したのだった。
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