二章 藍原唄は歌いたい

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二章 藍原唄は歌いたい

 俺は真面目に授業を受けている方だと思う。それはひとえに成績をよくしたいからである。そこそこの大学に入り、そこそこ安定した企業か地元の市役所あたりに就職して、そこそこの給料とプライベートに費やす時間を確保する。これが俺の将来設計だ。  しかし、窓際列の最後尾は教室の中でも一番くらいに眠気を催す位置だ。窓から射し込む日差しがまずいけない。とんでもなく眠くなる。そのうえ後ろの席だから眠るのにちょっと抵抗感が薄れる。  それでも踏ん張って目を覚まし、先生の話を半分ぐらい聞き流していた時のことだった。  怪人の出現を察知した身体に、悪寒が奔る。  少し離れた席に座っている座間の方を見やれば、彼もこちらに視線を向けていた。俺達は無言で頷き合う。 「センセー、腹痛いんでトイレ行ってきていいっすか!」 「またなのか。にしては元気そうだな」 「胃腸も元気すぎてめっちゃデカいの出そうっす!」 「わかったから、さっさと行ってきなさい」 「っす」  男子の爆笑と女子の苦笑に見送られるようにして座間が出て行く。そういえば最近やたらデカい声で授業中によく出て行く奴がいるなと思っていたが、あれが座間だったのか。  納得すると同時に俺は気を取り直して……机に突っ伏した。ごめん先生、太陽には勝てなかったよ。 「カキタロー!」 「っ!?」  耳元での爆音に慌てる。思わず浮かせた膝を机にぶつけ、その痛みにバランスを崩して椅子から転落する。 「み、美泉? どうした?」  心配そうな先生の声を一旦無視して、俺は自分の机を、その上のあたりにツンと仏頂面で浮いているプリシアを睨みつけた。 「……先生、腹痛いんでトイレ行ってきていいですか」 「お腹? 痛いのはお腹なのか? 足とかじゃなくて?」 「いってきます!」  足を引きずるようにしながらも駆け足で教室を飛び出した。廊下を走りながら背後に感じる気配へと言葉を投げる。 「誰かさんに会ってから妙に怪我が増えてる気がするなぁなんでだろうなぁ!」 「しーらない! だいたい、ハイトを早く捕まえるって決めたのはカキタローでしょ」 「よくよく考えたら基本的に座間に任せるのが一番コスパいいと気づいたんだよ」 「ただの丸投げだよ!?」  階段から屋上へと駆け上がり、すぐさま変身してジャンプ。  怪人が現れた商店街には、ほどなくしてたどり着いた。 「カッキー、遅かったじゃ」 「ふんぬっ!」  座間が何か言ってきたが、その声を聞くよりも早く巨大耳かき棒で怪人を殴打。 「んんっ!?」  なにやら驚愕の声を上げている座間を放置して、ひたすら怪人をたこ殴りにする。怪人は殊勝にも幾度となく立ち上がりその姿はさながら少年漫画の主人公のようであったが、いかんせん復活の度に俺のヘイトを稼いでしまっている。  十回ほど地面にキスさせてやったところで、ようやく怪人は動かなくなった。 「ハイトは!? あいつはどこだ!」 「カッキーがハッスルしてる間にどっか行っちゃった。ホント逃げ隠れするの上手いんだよね、あいつ」 「ああっ、くそったれっ! とっととこいつ浄化して帰るぞ!」  足下に転がっている怪人を指さして叫ぶ。  怪人も元々はただの人間だ。ハイトの手によって負の感情エネルギーを暴走させられてこういった姿になっているらしい。エネルギーの暴走を鎮めてやれば元の人間に戻る。  だから彼らに罪はないと言えるが、俺には怒りのやり場がない。とりあえず人間に戻った元怪人の男性の頬を軽くつねっておくことにした。必要な犠牲である、主に俺のメンタルケアのために。  しかし、受難はこれで終わらなかった。 ――――――――――――――――――――  休日、家での自習を終えた俺は耳かき音声の世界に没入していた。ヘッドホンをつけ、ベッドに横たわり瞑目する。目蓋の裏に音声作品に描かれた世界を妄想する。 「カーキーターロー」  プリシアの声は無視。 「ねーえーってーばー」 「……猿でも無視されてるってわかりそうなもんなんだが」 「むぅ、そうやってすぐ悪口言う。そんなんじゃ友達できないよ?」  そう言って、プリシアはハッとした表情を浮かべる。 「そういえば、カキタローが家族とキュウイチ以外の人と話してるの見たことない気がする……」 「はん、何をいまさら」  何に気づいたかと思えばそんなことか。俺はあまりのおかしさに鼻を鳴らしてしまう。 「友達なんて時間を浪費するためにいるような存在、俺には不要だ」 「カキタロー……だからそんなひねくれた性格なんだね……!」 「勝手に哀れんでんじゃねぇよ」 「昔から友達もいなくて妹にもゴミのように扱われて……大丈夫だよカキタロー、私がついてるからね!」 「昔は友達もいたし妹とも仲良かったし、そうでなくてもおまえだけは本当についてなくていい」 「またまた、そんなこと言ってー」 「耳かきできない精霊に価値などない」 「ひ、ひどい……」  プリシアがしょんぼりと落ち込んだ様子を見せるが、だからといって甘やかしてやるつもりはない。  そもそも、最初に契約を裏切ったのはプリシアの方であって……。 「……じゃあ、耳かきについて教えてよ」 「は?」  突然の要望に、俺は無意識のうちに聞き返していた。 「だってだって、カキタローは私に耳かきをしてほしいんでしょ? だったら、私は耳かきについて知らなきゃいけないじゃん」 「人間の記憶が読めるとか言ってただろ? だったら勝手に俺の記憶を読み取ればいいじゃないか」 「ある程度は感情エネルギーに結びつけて覗けるけど……私はカキタローに教えてほしい!」 「なんだそりゃ」  あまりにも面倒なので無視してもよかったのだが、こいつは無視すればするほどやかましさを増すタイプだ。俺は観念して立ち上がり、ペン立てにさしてある耳かき棒を抜き取った。  オーソドックスな、よくある木でできた耳かき棒である。 「要するに耳かきってのは耳の中を掃除することだ。こっちの曲がってヘラみたいになってる部分で、耳の中に溜まった耳垢を掻き出す」 「反対側についてる白い毛玉みたいなのは?」 「こいつは梵天って言ってな、耳かきの仕上げに耳垢の残りカスを払うのに使う。めちゃくちゃフワフワしてるから気持ちいい」 「ふわふわ……」 「まあ、これが基本だな」  ペン立てからさらに別の耳かき棒を取り出す。俺の部屋のペン立てにペンなんぞが入っているわけがない。 「他にも耳かきの部分が螺旋状になってて三百六十度全方位を一気に掃除できるスクリュー型とか、ヘラが縦にいくつか連なるようになってるループ型とか変わり種もあるし、オーソドックスなタイプの耳かき棒でも品質はピンキリだ」 「いろいろあるんだねぇ」 「医学的には耳かきが必要か不要かでまだ論争が続いてるが、少なくとも奥に差し込みすぎてはいけないということだけは結論として出てる。鼓膜を傷つけることになるからな。単純に高頻度で耳かきをするのも耳を傷つけるからダメだ。耳かきは節度を持ってやること」 「はーい」  いい返事に少しだけ気分がよくなったのをごまかすべく、俺は咳払いをした。 「じゃあじゃあ、耳かき音声? のことも教えてよ!」 「はぁ?」 「カキタローが耳かきをしてほしいのは、その耳かき音声が好きだからなんでしょ? だったら、それについても知りたい!」 「いや、それは……」  返事を渋っていると、またしても直感的に怪人の出現を察知した。 「飽きもせずによく出やがるな」 「うー、カキタローの話聞きたかったなぁ」 「よし、いくらでも話してやるから今日は引きこもっていよう」 「めちゃくちゃ怠け者だ!?」  いけるかと思ったが、プリシアはすっかりお仕事モードに切り替わって俺を怪人のもとへと送り出そうとする。日本人は働き過ぎだから多めに休むぐらいがちょうどいいのだと知らないのか……。 「はぁー、あんまり俺を舐めるなよ? 誰が怠け者だ誰が」 「そ、そうだよね。カキタローはやるときはやるもんね」 「ああそうさ。まずは座間に連絡してあいつに斥候として現地に赴いてもらう。そのまま怪人を倒してもらいミッションコンプリートだ」 「何もしないの!?」 「俺は手を抜くための努力は惜しまん」  ポケットからスマホを取り出して操作する。アプリを立ち上げ、半強制的に交換させられた座間の連絡先へと通話をかけた。今思えばこういう時のための連絡先交換だったのだろう、座間ってばホントいい奴。  数度のコール音がした後、座間が通話に出た。 「おう、怪人が出たぞ」 『う、うう、そうみたいだね……』  通話口の向こうから妙に元気のない声がする。 「なんだおまえ、いつもの鬱陶しさはどうした」 『いや、ちょっとだけ熱出たみたいで。ほんのちょっとだから、俺もすぐ行くよぉ』 「……何度?」 『三十八度五分』 「めちゃくちゃ高熱じゃねぇか!」 『ご、ごめんカッキー。耳と頭が痛い……』 「あ、ああ。悪い。……じゃなくてだなぁ、ヒーローの力で治せねぇのかよそういうの」 『肉体の損傷と違ってごまかしが効かない、ってヴェールが……』 「くそったれ!」  やり場のない怒りを込めて通話終了のボタンを押す。  さすがに病人に押しつけるわけにはいかない。体調不良なら休むべきだし台風が発生したら休校になるべきだ。無理して稼働するなんて美談でも何でもない、日本人はもっと考えを改めるべきだ。なんかさっきも似たようなこと考えたな……。  結局、俺は一人で怪人の発生源へと趣き、その日は五分ほどかけて撃退したもののハイトを捕まえるには至らなかった。
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