二章 藍原唄は歌いたい

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 騒動の翌日、俺は下駄箱で藍原と遭遇した。しかし彼女はすぐさま視線を逸らすと、俺を追い抜いて教室へと向かってしまう。  昨日の俺は制服を着ていたし同じ高校に通っていたことはわかっていたはずだ。同じクラスなわけだし顔も知っていたかもしれない。そうはいっても、自分の歌を下手くそと罵った相手とわざわざ話したいとは思わないだろう。  だからといって諦めるわけにはいかない。  昼休み、俺は行動を開始した。 「なあ藍原、話があるんだけど一緒に昼ご飯でも」 「私、購買だから」  すげなく断られる。そそくさと教室を出て行く藍原と、それを見送る俺、そしてそんな俺達に奇異な物でも見るような視線を送るクラスの連中。クラス内で一二を争う日陰者同士が接触しているなど、珍しいことこの上ないのだろう。  クラスメートにどう思われようが気にするわけではないが、かといって居心地が悪いのも否定しようがない。  やるせなさに襲われる俺の肩に、誰かが優しく手を置いた。  振り返れば、坊主がいる。 「ドンマイ、カッキー」 「なんでフラれた奴を慰めるみたいな反応してやがんだ。てか、暇ならおまえも手伝えよ」  座間にそう言うと、役立たずの坊主はやれやれといった風に首を横に振った。 「女子に話しかけるなんて、緊張するだろ?」 「爽やかな笑顔で悲しいことを言うな」 「俺だってもうちょっとトークスキルがあれば彼女の一人や二人ぐらい……!」  座間の瞳にキラリと光る物が見える。  ひとしきり悔しそうにむせび泣いた後、座間はすっきりしたような顔で続けた。 「まあ、いまの俺は野球が恋人だから。言い訳じゃないからな? 逃げてるわけじゃないからな!? 密かに狙ってたマネージャーが先輩と付き合ってることを知って始まる前から恋が終わっていたとかじゃないからな!」 「なんで聞いてないことまで白状するんだよ」 「しまっ……違うし、いまの全部嘘だし! イッツジョーク!」  コテコテのカタカナイングリッシュで話す様は滑稽を通り越して痛々しい。俺は情けのつもりで座間の望み通りにすることにした。 「はいはい、信じますよ」 「めちゃくちゃ投げやりじゃんその反応、傷つくわ」 「勝手に傷ついてろよ。もう何言っても信じないパターンじゃないか」  本当にもう、死ぬほどくだらない問答である。 「おまえが恋人かってぐらい野球に一生懸命なのなんざ、見てりゃわかるだろうが」 「え、おおう。なんかストレートに褒められると照れるな」 「別に褒めてねぇよ」  毎日のように朝練を終えて教室に入ってくる汗だくの姿を見せられれば、その努力を認めない方がどうかしているというものだろう。 「へへっ、まあこれでも、甲子園目指してますから?」 「ほーん。まあがんばれや」  適当に相槌を打つと、座間は意外そうな顔をした。 「あれ、バカにしたりとか、しねぇの?」 「は? なんで?」 「いや、うちって別に強豪とかでもなんでもないただの公立の野球部だし。たいていは『甲子園なんて無理だろー』みたいな反応がくるもんだと」 「うちの野球部が強いか弱いかとか知らないし、興味もないし」 「むしろひでぇ!」  大仰に嘆いてみせる座間に、俺は言う。 「っていうか、なんだよ。バカにしてほしかったわけ? そういうコミュニケーション、俺には難易度高すぎるわ」 「そういうわけじゃないけどさ」 「だったら堂々と目指せばいいじゃないか。そのために頑張ってんだろうが」  目を丸くした座間はしばらく考えるような間を置いた後、真っ白な歯をこれでもかと見せつけるほど大袈裟な笑顔を浮かべた。 「カッキーって、なんだかんだいっていい奴だよな」 「いや、意味わかんね」 「そんなカッキーには、はいこれ」  ぽん、と何かを手渡される。それは「必勝」と書かれたお守りだった。 「なんだこれ」 「マネージャーが買ってきてくれたらしいんだよ、超優しくない!? まあなんか買う数間違えちゃって俺が一個多めに引き取ることになったんだけど、そんなドジなところも超可愛くない!?」 「それが先輩と付き合ってたマネージャーか」 「やめてくれぇ、現実を思い出させないでくれぇ……」  その場に崩れ落ちんばかりの消沈っぷりだった。こんなのと四六時中一緒にいてヴェールは疲れないのだろうか。  と、座間はガバッと顔を上げて雄叫びを上げる。 「うおぉぉぉぉ! 俺は野球が恋人っ、ぜってー甲子園に行くぞぉ!」 「うるせぇぇぇぇ!!」  クラスの連中が、ぎょっと目を丸くしてこちらを見る。やはり、こういう視線に晒されるのはキツい。  その日の放課後も藍原のタワーマンションの前で張り込みをしていたが、藍原が外に出てくることはなかった。毎日路上ライブをするわけもないし、昨日の騒ぎを気にして外に出づらくなっているのかもしれない。  チャンスが訪れたのは、二日後のことだった。  その日、藍原はまたギターケースを持って駅前へと繰り出した。当然、俺はそれを追う。プリシアもついてくる。  藍原が駅前で歌い出すのを見てから、ゆっくりと近づいていく。先に声をかけなかったのは、そうすることで逃げられるかもしれないと考えたからだ。  すぐ傍に立つと、さすがに藍原もこちらに気づいて目を見開いていたが、すぐに演奏と歌唱に集中し出した。  相変わらず、足を止める人はいない。もはや俺のためだけに開催された特別ライブなのではないかと勘違いするほどだ。相手が下手なので喜ぶに喜べないが。  やがて演奏が終わり、藍原はペットボトルの水で喉を潤してから俺を見た。 「……何の用?」 「ああよかった。会話する気持ちはあるみたいで」  大げさに胸をなで下ろしてみせる。実際、そそくさと立ち去られたらどうしようという不安は常に胸の中にあった。 「下手くそな歌、聴いて、楽しい?」  怒り心頭というよりは、静かに苛立っているような声だった。たとえるならば熱々の溶岩ではなく冷たいナイフ。  彼女の言葉に、俺は唸る。 「楽しいか楽しくないかで言ったら、楽しくはない」 「帰る。帰って」 「いやちょっと待って!?」  慌てて呼び止める。最近じゃ座間相手に配慮もへったくれもない会話しかしていないから、その空気感が俺の中で引き継がれてしまっている。そもそも相手を気遣いながら会話を繰り広げるとか難易度高いだろ。 「落ち着け、いまのはあれだ、言葉のアヤってやつだよ。俺の言葉はテクニカルでちょっと難解なんだよ、悪いな」 「なんで私に構うの。私の歌は、聴く価値もないんでしょ」 「そんなに自分を卑下するなって」 「この前、あなたに、言われたこと」  指摘されて思い返す。ふむ、そんなことを言ったような気もする。完全に暴言だな、俺ってもしかしなくても最低なのでは? 「……二刀流とかって騒がれてるプロ野球選手だって、ガキの頃は野球が下手くそだったはずだ。おまえはまだ発展途上なんだよ」 「野球、詳しいの?」 「いや全然、野球部の知り合いが一人だけいる程度だ」 「テキトーなこと、言わないでよ」  藍原の心の扉が閉じる音が聞こえるようだ。  どうにもなりそうもない現状を嘆いているうちに、藍原は帰り支度を着々と進めてしまっている。どうにか、どうにかしなければ……。 「……待てよ」  そこまで考えて、俺は気づく。  ――別に藍原にこだわる必要ないんじゃないか?  ヴェールからヒーロー候補として提示されたのが藍原だったというだけで、俺個人は藍原に何の思い入れもない。むしろ攻略できないのであればおとなしくルート選択を変えるのが現実的な判断なのではないか。  考えるまでもなく好感度はゼロ地点を下方に突破してるっぽいし。 「もういい? 私、帰るから」 「あ、ああ」  反射的に頷いてしまうと、藍原は俺に背を向けて歩き出す。  遠ざかる背中にかける言葉が見つからない。これでもう、俺と藍原はたまたま同じ高校の同じクラスに在籍しているだけの赤の他人。明日からはこれまで通り、お互いに一切干渉しない関係性が保たれることだろう。  それはいい。  それは本当に、それでいいのだが。 「藍原」  俺は彼女の名を呼んでいた。  かけるべき言葉がない? いや、ある。 「なに?」 「その、だな」  なんだか喉が渇くのを感じる。きっと夏の暑さのせいだろう。俺は生唾を飲んで、頭を下げた。 「……悪かった」
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