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 だけど、私には全部関係無かった。  ごく平凡な家庭に生まれて、ごくごく無難な人生を歩み、それなりの大学に進んだ二回生。就職してやりたい展望も特に無かったし、ここで人生が終わっても別にいいか、という、謎の悟りがあった。  顔を合わせれば喧嘩ばかりしていたのに、終末を前に仕事も家事ももう関係ない、と、リビングのソファで二人寄り添って、昔話をしながらお酒を飲んでる両親。まあ、そういう静かな終わりの迎え方もあるだろうな、と横目で見やって、キッチンの冷蔵庫から缶カクテルを取り出し、自室へ入る。  パソコンをつければ、ネットラジオがしんみりした洋楽バラードと共に、センチメンタルな声で吟じ始めた。 『皆さん、今夜「アペルピスィア」が地球に衝突します。泣いても笑っても人類は滅びます。あと五時間、大切な人と、思い出に残る時を刻みましょう』  失笑が洩れてしまう。 「思い出に残る」だなんて。何しろ私達はすべからく死んでしまうし、その思い出を語り継ぐ場所さえ滅びてしまうんだから、残るものなんて何にも無い。  ラジオを切って、好きな歌手のアルバム再生に切り替え、カクテルのプルタブを引く。人生最後のソルティドッグに口をつけようとした時。  こん、と。  部屋の窓に何かがぶつかる音がした気がして、振り向く。  こん。  今度は間違いなどではなく、小石が磨り硝子の窓に当たる影が見えた。  こんな事をしてくる奴は、一人しかいない。缶を机の上に置いて立ち上がり、窓を開け放つ。 「よっ。蒼海(うみ)姉ちゃん」  向かい合った窓を全開にして、朗らかに手を掲げて笑いかけてくるのは、お隣さんの一人息子、玲司(れいじ)。二つ年下のこの幼馴染とは、幼い頃から、こうして窓を開けて語り合う仲だった。 「なに、振られたの?」 「……うっさい」  そう、過去形なのは、玲司が受験勉強に入って、私に彼氏ができて、しぜん、窓を開けて話す時間が取れなくなったから。でも、それももうおしまい。 『人類最後の日くらい、有り金全部使って、もっと美人な子達とワイワイ騒ぎたいね』  彼氏だと思っていた男は、実にだらしない笑顔でそう言い放ち、私一人を残して、繁華街に消えた。  最悪の思い出を叩きつけてくれたものだ。まあそれも、あと数時間で消えるんだけど。目の端に浮かんだ涙を、拳でぐしぐし拭い去る。と。 「だっから、オレ言ったじゃーん。ろくな男じゃないからやめときなよって」  ぷしゅ、とプルタブを引く音。私じゃない。玲司が缶の蓋を開けたのだ。こちらは未成年だから、勿論アルコールではない、コーラだ。しかもカロリーゼロ。  人類最後の日まで健康に気を遣わなくていいだろうに。  そんな私の心の中のツッコミも届かず、玲司はごくごくと喉を鳴らしてコーラをあおぐ。 「でも、オレにとってはラッキーだなあ」  ぷはあ、と。おっさんみたいな息をついて、玲司は笑顔をこちらに向けた。 「最後の日に、蒼海姉ちゃんとこうしてまた話せたんだから」  その言葉に、どきり、と心臓が脈打つ。玲司の笑顔がやたら輝いて見えて、あれっ、この子こんなに格好良かったかな? 頭の中をハツカネズミがぐるぐる走り回る。 「本当は、ちゃんと決まってから姉ちゃんに報告したかったんだけどさ」  私の動揺も何のその。玲司は照れ臭そうに頭をかき、笑みを浮かべたまま先を続ける。 「オレ、姉ちゃんと同じ大学を第一志望にしてたんだ。二年間だけど、一緒にいられるじゃん?」  その二年も、もう無くなっちゃったけど。自嘲気味にそうこぼす玲司の落ち着きぶりとは反対に、私の心臓は早鐘を打ちっぱなしだった。  なにこの子。ただの幼馴染だと思っていたのに、これは自惚れていいところなの? ていうか、振られたばかりなのに節操無くありません私?  頭の中のハツカネズミが、ついにはお祭り騒ぎでドンドコ太鼓を叩き始める。しばらくぱくぱくと口を開閉して、やっと出てきた言葉は、あまりにもお粗末なものだった。 「今更遅いよ、バカ」 「……だよなあ」  とうとうぽろぽろ涙を流す私を見て、玲司もばつが悪そうに、口をへの字に歪める。 「じゃあ、最初で最後のデート、ここでしようか」
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