三 重なる姿

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三 重なる姿

「あの〜」  どこからか声が聞こえて過去の回想から現実に引き戻された。気づくと転校生が隣に座っている。 「大丈夫ですか?」 「あっ…はい…」  心配されてしまった。よほど思い詰めた表情をしていたのだろう。自分が思っていた以上に過去の回想に深く嵌っていたようだ。 「名取〜どうかしたか?」 「何でもないです」  大衡からも心配されてしまった。いつもならぼけっとしていると怒号が飛んでくるのだが、飛んでこないということは、やはり余程酷い表情をしていたのだと改めて思う。これからは人前で結衣との思い出に浸るのは控えた方がよさそうだ。 「そうか、じゃあ名取、隣の席になった縁だ。俺も事前に話はしているが、栗原に学校のこと色々と教えてやってくれ」  最悪だ。これが男だったら喜んで色々と教えるし、雑談もして親睦を深めるところだか、相手は女だ。決して彼女に非はないが、どうしても関わることを躊躇ってしまう。  あの日以来、止むを得ず女子と会話や作業をしなければならない時は鼓動が早くなり、脂汗が出て体調を崩してしまうことが多々あった。今回もまた同じ事が起きそうで不安に駆られる。しかも彼女は結衣にとても似ている。教えている内にまた頭の中に辛い記憶が浮かんできて、いつもより酷い事態に陥るのではないだろうか。そもそも… 「よろしくお願いします」  しまった、色々と考えている内に向こうから声をかけてきた。もう逃げることはできない。  しかし、俺も男だ、こうなったら今日一日くらい頑張ろうではないか。今日が終わってしまえば、もう話すことなどないのだから。 「名取徹平です。こ、こちらこそよろしくお願いしましゅ。えっと…」  穴があったら入りたい。噛んだ上に過去を思い出していたせいで彼女が教室に入って来た直後に行ったであろう自己紹介を聞いていなかったから名前も知らない。  いくら今後関わることがないと言っても、初対面でこんな失敗をするとやはり恥ずかしい。しかも、彼女は結衣に似ている。まるで結衣の前で恥を晒したような気がして余計に恥ずかしい。俺は顔を赤くして黙り込んでしまった。 「ふふっ、緊張してるんですか?まあ、私も結構人見知りなので気持ちは分かります。栗原春です。改めてよろしくお願いします」  栗原は笑いながら優しくフォローしてくれた。笑った顔も結衣によく似ている。そんな笑顔をこちらに向けないでくれ。君を見ていると、またあの時を思い出して自分が許せなくなるから。  こうして突如として与えられた試練のような一日が始まった。 「生物室ってどこですか?」 「ああ、全員移動するからついて行けば分かるよ」 「昼休みは何時までですか?」 「1時」 「現国の白石先生ってどんな人ですか?」 「怖い、とにかく怖い」  疲れる…。確かに俺は担任の大衡から転校生である栗原に色々と教えてやるよう命じられた。だから栗原が俺を頼ってくるのは当たり前のことだが、予想以上に色々と聞いてくる。先生がどんな人とかそんなに気になるか?などと、栗原の疑問に対して頭の中で疑問を呈しながら答えていった。 「今日はありがとう!明日からもよろしくね!」 「うん、またね」  やっと放課後だ。栗原がお礼を言ってきたので、返事をすると笑顔で去って行った。もうクラスの女子とも仲良くなったようで廊下の方から楽しく談笑する栗原の声が聞こえる。そして、次第に声は遠くへ移動し、やがて聞こえなくなった。  一方、俺はというとまだ自分の席から動けないでいた。今日はほとんどの時間を栗原と過ごした。女子と関わることが怖い自分にとってはまさに地獄だった。相変わらず脂汗が出るし、返事をする時も時々呂律が回らないしでメンタルはボロボロだ。そのせいで今は無気力状態である。本当は一刻も帰りたいのに席を立つ気も起きない。また、朝から降り続ける雪がそうした気持ちをさらに削ぐ。  そんな感じで席で項垂れていると伊織が声をかけてきた。 「今日はお疲れ。ほぼ栗原さんと一緒にいたけど平気だったか?」 「見ての通りだよ」 「相当辛かったんだな。マジでお疲れ」 「今日は本当に辛かった。最初、栗原のこと見た時、結衣に似てるから動揺したわ」 「確かに似てるよな。俺も一瞬目を疑ったわ。でも、おかげであの頃に戻ったような気がしたんじゃないの?」 「はぁ?ふざけたこと言うなよ!顔が似てるだけで結衣と栗原は違…」  伊織に対し反論しようとしたところで俺は違和感に気づき、思わず言葉が詰まった。栗原と話している時、いつものように脂汗は出たが、鼓動が早くなり、具合が悪くなるようなことはなかったのだ。  無意識の内に栗原に結衣の姿を重ねていたのだろうか?そんなはずはない。もう結衣がこの世にいないことは自分が一番理解しているではないか。きっと、朝に過去を思い出したりしたから、そのせいで結衣と話している気になっていただけだ。断じて栗原に結衣を求めていた訳ではない。 「おい、どうした?大丈夫か?」 「えっ?ああ、大丈夫だ。何でもない」  話している途中に黙り込んでしまったため、伊織に声をかけられる。それにしても今日はよく心配される。 「そろそろ帰ろうぜ」  俺はそう言って話を打ち切り、席を立った。とりあえず、さっきの会話は忘れよう。明日以降、自分から栗原と話すことなんてきっとない。何か話したとしても、いつものように女子と関わることに体が拒否反応を示すだろう。何度でも自分に言い聞かせよう、栗原は結衣ではないと。  そんなことを考えている内に、もう昇降口まで来た。朝から降り続く雪がこのモヤモヤの上にも積もって消してくれないだろうかと、馬鹿な妄想をしながら俺は昇降口を出た。    
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